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寝楽起楽

最近は頑張って読書感想ブログにしてます。

『ゆれる』 2006年 監督:西川美和

『ゆれる』予告編 - YouTube

 

 

ゆれる

ゆれる

 

 

 

地方に残り、家業を継いで働いている兄と、地方から飛び出し、東京でカメラマンとして働いている弟。母が亡くなったことを契機に帰ってきた弟だが、そこで事件が起こり・・・という話。
詳細は予告編を参照されたし。

すげー面白かったが、すげー読解力が必要な映画だった。
正直僕は兄の心理がほんとに全く解らず、見終わったあといくら考えても納得出来ずに、「大阪の一般人の男と女が大阪市ワンルームでだぁーっとしゃべったりゲラゲラ笑たりしてたらなんだかんだむっちゃええ感じになるんちゃうか?そんな感じでやってまうん。PODCAST」、略して「大大だゲなじ感(だいだいだげなじかん)」の完全ネタバレ回を聞いてやっと腑に落ちた。上のpodcastも凄く面白いのでおすすめ。


僕にはリアル兄がいるのだが、この映画の兄の心理が解らない=うちの兄の心理もまたぜんぜん解ってないということになる。この映画と同じように、兄はきっといろんなことにきっと耐えている。
そして僕はおそらく無自覚のうちに、兄からいろいろなものを奪っているんだと思う。
家がたまたま自由にさせてくれているがために、その度合いも低いだろうけど、この映画みたいな閉塞的な環境にもし生まれていたら、僕はきっとオダギリジョーと同じように兄にすべてを押しつけ逃げ出してるに違いないし、兄はきっとそれを受け入れ、耐えていくに違いない。

これをみて、兄と弟どっちの視点になるかで、自分の兄弟感が自然と炙り出される。地味な映画だけれども、見て損になることはないと思う。

短歌は良いぞ

最近、短歌を詠み始めた。

 

なれなれしい人まつげもやすちゃんさんのブログを読んでいたら、短歌を詠んでらっしゃって、なんとなく一句だけ作ってみたら自分天才じゃね!?となってそのまま続いている。その歌がこれ↓

 

背を向けた あなたを蹴飛ばす その代り 足元の影を そっと踏みつけ

 

どうっすか!?結構よくないっすかね、僕はいいと思うんですけどね、突然こんなことを言われて困惑気味に愛想笑いをしている皆様の顔が見えます。

 

まあでも上の歌はそもそもの着想からして綿矢りささんの『蹴りたい背中』からヒントを得まくってしまっているので、ぶっちゃけオリジナルとは言えない。『蹴りたい背中』がこんな話だったかは全然覚えてなくて、なんか女子高生が暗めの男子高校生の古びた木造家屋の二階の彼の部屋で写真集?がいっぱいつまった段ボール箱を見せられるシーンがあった・・・・?ぐらいの印象しかないんだけども。

 

言葉の持つ力っていうのはやっぱし強いもんで、「蹴りたい背中」はその中でも特に僕の中にしっかり残ってるものの一つである。このタイトルを聞き知っている人は、誰しも「あ、あの背中は蹴りてえ」とか、ふとした瞬間に考えるようになったに違いない。そんなことない?ちなみに僕は柔軟性皆無な人間なんで、蹴るとしても相手が階段を降りてる時にしか確実に思うようには蹴れず、そしてその絵面はどう考えても陰湿ないじめである。

 

話を元に戻すと、短歌って趣味としてやるにはほんとになんも手間かからないので、皆やってみません?単純に57577になるような言葉のリズムを探すのも楽しいし、俳句と違って季語いらないのでほんとに思いついたまま詠むだけでいいし、なんなら唯一のルールといってもいい57577も現代短歌はほんとにまったくと言っていいほど守ってないものもあるみたいです。

 

ちょっと何かを創作したりする側に回ってみたいけど、小説とか書く根性はないし、絵は下手だし、音楽もさっぱりわからないし・・・みたいなみなさんに、特に短歌はお勧めっす。

 

んじゃまた。

 

 

 

 

 

消化できない話

あまりにも推奨レベルが高すぎてちょっと手に負えないよね、という話は、聞かされた後のその話の置き場が自分の中に無くてずっと変なもやもやが残る。

 

成長するに従って、この話はあのカテゴリ、あの話はこのカテゴリ、と言う風な区分付けは上手になっていき、その分だけ心に直接どかんと来る様な経験は少なくなるもので、そういうのが時たま来るとびっくりするもんだ。

 

人は日常、自分の表層の部分しか使わずにお互い生きてるわけだけど、ふとした瞬間にその奥の、本人も整理のついてない何かがガッと出てくることがあって、それは受け取る側としてもよく分からないけど何だか凄いものとして大抵は受け取られていく。

 

もやもやが晴れたというのは、それだけ自分が成長したということであって、それは嬉しくもあり悲しくもあることだ。

 

まあなんでこんな話になったかといえば、昨日思いがけず重い話を聞いちまって、しかも長年かけて熟成されていた分だけ若者のそれよりも何倍か重く、もうどうしようもねえってなってるからである。

 

 

タロット

中二心を忘れないためにと、最近タロット(ライダーウェイト版)を始めたが、これが中々楽しい。

 

例えば「今日の運勢」をワンカードで占うと、

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こんなカードが出てくる。これはカップの3で、タロットリーディングの本によると「豊かさ、友情、コミュニティ」を意味するらしい。なるほどなるほど。

 

タロットのいいところは、本を読んでみても「この解釈じゃないと駄目!」ではなく、一般的にはこういう解釈がされるけど、基本的にあなたが感じたことを優先していいし、占い方もワンカードとかケルト十字とか色々あるけど、自分が一番占いやすい形にしちゃって問題ないよ、というような、おおらかさがあるところである。

 

例えば上のカードを僕が直感的に見た場合、「黄色い人なんか不敵な顔してんな」「葡萄持ってるけど何あれ」「白い服の人体ねじれてね?」と思う。そういった感想は脇において、友情のカードだから何か良い日になるらしいで終わらせても良いし、もっと深く考えてもいい。それは自分の裁量に全て委ねられている。

 

解釈によってはどんなに良いカードが出てもそれを悪い意味に捉えられるし、どんなに悪いカードが出ても良い意味に転嫁していい。結局のところ写るのは自分の心なのかもしれないが、タロットという間を挟む分幾分客観的になるし、悪い結果もまあ所詮占いだし、と流すことも出来る。

 

後単純に「愚者」とか「正義」とか「運命の輪」とか、名前だけで結構楽しいし、絵をただ見てるだけで割に面白い。カードゲームそのものにはあまり興味を持たなかったが、カード自体はそれなりに好きである。

 

というわけで、タロット結構お勧め。難点は「タロットやってる」というのが人聞きとしては微妙にマイナスよりのところか。

 

 

オディロン•ルドン

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上はオディロン•ルドンという人の、『夢の中で』という連作?の一つらしい。

 

光り輝く目ん玉に真っ先に視線が向きそうだけど、個人的には左下の影になってる人達が良い。見知らぬ宮殿の中に二人迷い込み、手と手をつないで探索中、決定的にわけのわからないものを見つけてしまった、て感じ?

 

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ICOのこの絵とか、その元ネタのキリコの絵とかを何となく思い起こさせる。

人が影になってる絵が自分結構ツボみたい。 

 

あと、通りで見覚えあると思ったら、オディロンルドンさんは最近アニメになった(てさらっと書いたけどもう三年も前らしいですよ。笑えねえ)漫画悪の華のあのボードレールの小説の挿絵のモチーフになってた。

 

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よくわかんないけどなんか目ん玉が好きな人だったんですな。

 

ぬか

それがどうした、俺はぬかを漬けているんだぞ

 

上記は小野ほりでいさんの随分前のツイートだが、とても好きでたまに見返している。

 

高校生の時分は、俺って空っぽだな、という気持ちを常にどこかに抱えながら生活していた。

 

だからといって別にそれについて深く悩んでいたわけでもなく、中身を埋めようとする努力も特にしなかったあたり、どうしようもなく僕であるが、最近はあの何にもなさを感じることがなくなったように思う。

 

他の人と比較して、俺って何もやってきてなかった•••と後悔するキャラは様々な作品で出てくるけれど、そこを恥じる必要は本当はないという気がする。

 

人生経験の多い少ないは年齢の多寡のみによって決まるし、経験に深さ浅さも別に存在しないと思う。21年生きりゃ、21年分の何かはきっと自分の中にちゃんと存在する。同い年の人たちと比較して良いか悪いかなんて、自分を含めて誰にも決められない。

 

きっと必要だったのは、冒頭の言葉のような、開き直りの心なんだろう。この世界の此処は少なくとも俺の居場所だ、みたいな。

 

同じ部活に、「ほっとけ俺の人生だ」て書いてあるTシャツをよく着ている奴が居たけど、そうだよねえ、と今なら頷ける。

 

まあだからといって真の意味で好き勝手にやって上手くいくかと言えばそれは全然別の話だけど。

 

にしてもぬかは本当良いチョイスだ。

これを書くにあたってぬかをチラッと調べてみたら、2chのぬか漬け総合スレが46樽目まですごく和やかに進行してて、ほっこりした気持ちになった。

 

ぬか漬けについて知らない人と意見交換出来るなんて、インターネットはやっぱ偉大な発明だ、

まとも/まともじゃない

 うちの両親はまともな人達だと思う。

 

 一般的な視点から見ると、私の父と母は随分と外れている人間である。

だが彼等は常々、自分達ほど常識のある人はこの世に他に居ないと豪語するし、実際またその通りだ、と感じるエピソードだってないことはない。

 

 外れていながら、何故まともで居られるのか?

それは多分、二人が常に自分達がまともの中心からどれほど隔たった距離に居るかを点検しているからだ。

 

 どんなに性格がぶっ壊れてている人でも、世間の中心はあそこにある、と分かっているならば、その人はきっとまともだ。

 

 汚いものが世の中には多すぎる、もう金輪際俺は美しいものしか見ない!と言って、目を閉じて歩いた結果線路に落ちた経験を持つ父だって、ある意味では普通の人である(中3のときくらいの出来事だといっていたので、上のエピソードは素面である)。

 

 つまり社会の中での自分の位置をマッピングできるかどうかがまとも/非まともの境目なんじゃないか、という気がする。

 

 誰だって自分本位に生きたいし、社会の中心なんてまるっきり無視したいけど、でもやっぱそういう風には中々いけないもんだ。