寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

江戸女の粋:『応為坦坦録』 山本昌代 河出書房新社 1984年

  娘の方は父親を名前で呼びつけにするけれども、逆に父親の方は自分の娘を「お宋」とその名で呼んだことがない。用事のある時は決まって「オーイ」と呼ぶ。返事がなくてもやっぱりまた「オーイ」と呼ぶ。お宋が家に居ないのにいつまでも「オーイ」「オーイ」と読んでいて、隣の人が戸口に顔を出したこともあるけれど、鉄蔵はそんなことには一向頓着しないのである。(中略)初めて自分の描いた絵を自分の名前で買ってくれると版元が言ってきたとき、鉄蔵がさすがに気づいて画号はどうするとお宋の顔を覗き込んだが、お宋はふいに頭に浮かんだように目を上げて、

 「オーイにしよう」といったのである。

 それくらいだから、襲うは、別のことにしてもくよくよ思い悩んだり、細かい心配に気を回したりといったふうなことは何一つとしてなかった。

(本著p10-11)

 

 1時間ちょっとぐらいであっさり読めた。

 

応為坦坦録 (1984年)

応為坦坦録 (1984年)

 

 

 

○あらすじ

 江戸の絵師葛飾応為葛飾北斎の娘、実在)が絵描いたりなんだりかんだり

 

○考察・感想

 前にも紹介した、

 

北斎のむすめ。(1) (まんがタイムコミックス)

北斎のむすめ。(1) (まんがタイムコミックス)

 

  の小説版という感じ。

 

 エロ絵が描けねえっつって女なのに吉原行くエピソードとかどっちにも出てきたけど史実なんですかね。すげえな。

 

 何気に昌代さんはこの作品で文藝賞受賞したりしてるので、応為さん知らん人でもしっかり楽しめるのではないかと思います。150pしかないからすぐ読めちゃうし、気軽になんか欲しい、という時にお勧め。

 

 応為、現存する作品がめちゃ少ないせいで企画展とかも開催されそうにないのが悲しい。。

 

 

有機体を為す街:『乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ話』 ラティフェ・テキン著 宮下遼訳 河出書房新社 2014年(原著1984年)

 一日中巨大なダンプカーが都市から出るゴミを運んで来ては捨てていく、とある丘の上に幾つものゴミ山がそびえていた。ある冬の晩のこと、そのゴミ山から少し離れたところに松明のあかりをたよりに八軒の一夜建てが築かれた。翌朝、一夜建ての屋根にその年はじめての雪が降った。一夜建ては木の板とかゴミ集積場から馬車で運んできたレンガとかで出来ていて、屋根には大量の油紙が貼られていた。このあばら家を最初に見つけたのはゴミ漁りの人々だった。

(本著p3より)

 

 街の始まり。

 

乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺

乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺

 

 

○あらすじ

 農村から出てきて都市には入れない人たちが勝手に街つくる

 

○考察・感想

 時代設定的には近代だし住んでる場所も都市(の周辺)なんだけど、物語全体を支配しているのは農村の民話・伝説的な価値観なので、そのミスマッチさが不思議かつ素敵。

 

 一生懸命作った家を解体業者に壊され、また作り、壊され、しまいには屋根を風に吹き飛ばされ、何をするかと思えばその風に向かって石を投げたりする。

 

 冷静に考えると悲惨な出来事(工場から出てくる青い排水で体洗って皮膚ずるむけになったり)もたくさん起こるけれども、それが身に降りかかっている彼ら自身は彼らの価値観の結果平然としているように読めてしまう。

 

 解説によればラティフェ・テキンは、「わたしたちの言葉」=農村の言葉を使いこの小説を作り上げたそうだが、どこまでが農村の人々のリアルで、どこまでがフィクションなのかが、門外漢である我々には非常にわかりづらい。

 

 ただタイトルが「おとぎ噺」なので、それはもうそういうものとして受け取ればいいのかもしれないし、がっつり読みたければ解説のトルコ文学史およびテキンの人となりを学習してから入ればよいと思う。

 

 全体としてテキンが描こうとしたのは、国民だの、経済だの、そういった近代的価値観の一切合切から完全に離れた、ほんとうにただただ身辺だけを生きていた時代であり、だからこそ解説の通り、この物語における主人公は「ゴミの丘」、かつそのゴミの丘の街で語り伝えられる伝承そのものであろう。

 

 多分トルコ語で読んだらもっと楽しいんだろうなぁ、と思った。

 

 

 

 

ここは地獄、どこでも地獄:『優しい鬼』 レナード・ハント 柴田元幸著 朝日新聞出版 2015年

 むかしわたしは鬼たちの住む場所に暮らしていた。わたしも鬼のひとりだった。わたしは今年寄りでそのころは若かったけれど、じつはそんなにすごくまえの話ではなく、単にわたしにはめていた枷を時が手にとってねじっただけのこと。いまわたしはインディアナに生きているーーこの家でわたしがすごす日々を生きるといえるなら。これなら足が不自由でろくにうごけなくてもおなじこと。よたよたと地をあゆむ生き物。ある晴ればれと明るい朝私はケンタッキーにいた。何もかもおぼえている。わたしはもうすでにこのジゴクの輪に自分の旗を立てた。この住人たちはなにひとつ忘れない。

(p19より)

 

 二度読み推奨作品。

 

 

優しい鬼

優しい鬼

 

 

 

 ○あらすじ

 「パラダイス」と呼ばれた場所に嫁いだ ジネストラ、その夫ライナス、奴隷ジニアとクリオニーの4人が害し害されながら地獄を行く

 

 ○考察・感想

  上の引用を読んでもらえば分かるとおり、全てが語りで構成され、時系列も前後するので本書は非常に読み解きにくい。白状すると自分は途中で挫折し、あとがきで関係性を把握しなおしてから読んだ。けどそれだとやっぱり衝撃は薄くなってしまうので、出来るだけネタバレなしで読むのがお勧め。

 

 「つらかった」とか、「苦しかった」とか、一人称なのに心情をほとんど(一切?)出てこないのが凄く特徴的だと思った。ゆえに大部分の頁が割かれているジネストラの心情が分かりづらく、それを探り探りしているうちに泥沼にはまらされていく感じ。

 

 わたしはいままで影にいたのだしいまも影にいて影のなかでなさけない歩みを進めている。だからもしわたしが、ケンタッキーのあの場所でのわたしの夫ライナス・ランカスターの家に来たばかりの日々をいまふり返るとそこにうつくしい、そこなわれていない場所の光がわたしたちみなを照らすのが見えるなどと言ったりしたら、あなたにはわかるしわたしにもいえる、そんなのは起きたのとはちがったことをねがいはしても起きたことは変えられはしない頭がくり出すごまかしでしかないと。

 (本著p28)

 

 ルーシャス・ウィルソンは言い返さなかった。わたしの足首にあるあざのことをかれは知っていたし、痛みがおさまってくるたびにわたしがそれを叩いていることも知っていた。ここへ来てまもないころ、ある晴れた土曜日にわたしがそうやってたたいているところにかれはたまたま入ってきたのだ。わたしがたたいて、血が靴下にしみこむのをかれは立ってながめていた。それがベッドシーツを汚すのをかれは見た。床にしみこむのを。トンネルをとおって垂れていくのを。ケンタッキーの下のほうに向かうのを。ミミズたちに話しかけるのを。

 「なにをしているんだ、スー?」と彼はそのときたずねた。

 「旅をしているんです、ミスタ・ルーシャス・ウィルソン」とわたしはそのときこたえた。

 「わかった」とかれはそのとき言った。

 不気味   スケアリーというのはまちがっていなかった。

(本著p40)

 

  このへんもわかってから読むとああ・・・なるほど・・・と思うが、最初は訳分からんかった。

 

 訳者あとがきで、白人男性が黒人女性を語り手に起用することは、人種差別に敏感なアメリカではきわめて稀って書いててびっくり。でも考えてみりゃ日本で在日の人を日本人作家が主人公にして書いたらなんか言われたりする気はするなあ。

ただ本著は別に奴隷制に対する批判、とかそういう類のもんでもなくて、あくまで自分の中に浮かんだアイデアを生々しく肉付けしました、というもんだと思う。その現実の問題に対するスタンスは『この世界の片隅に』と近い。あれは事実考証による再現の方向性だから、作品の毛色は違うけど。

 

 置き去りにしてきたと思ったすべてのものが、明日と呼べるんじゃないかといまだに思っていたもののまんなかにテントを張って「こっちだぞぉ」とわめく、そんな日がいつか来る。

 それで、わたしもここにいる。

(p160)

 

 一番の聞かせどころで来たフレーズ。ジネストラの感覚としてはもう、「いつ」も「どこ」もなくて、だから語りもああなるし足首に傷をつけるし。アルコフィブラスと父の足は、やがてやってくる。そんな日が来なければジネストラも幸せになれるだろうに。

 

以上。

 

 

ふわふわしたおじさんの軍団:『僕の名はアラム』 ウィリアム・サローヤン著 柴田元幸訳 新潮文庫 2016年(原著1940年)

 僕が九歳で世界が想像しうるあらゆるたぐいの壮麗さに満ちていて、人生がいまだ楽しい神秘な夢だった古きよき時代のある日、僕以外のみんなから頭がおかしいと思われていたいとこのムーラッドが午前四時にわが家にやってきて、僕の部屋をこんこん叩いて僕を起こした。

 アラム、とムーラッドは言った。

 僕はベッドから飛び出して窓の外を見た。

 僕は自分の目が信じられなかった。

 まだ朝ではなかったけれど、夏だし夜明けもすぐそこまで来ていたから、夢ではないとわかるだけの明るさはあった。

 僕のいとこのムーラッドが、美しい白い馬の上に坐っていたのだ。

(本著p15「美しい白い馬の夏」より)

 

  ゆるいユーモアの短編集。

 

 

僕の名はアラム (新潮文庫)

僕の名はアラム (新潮文庫)

 

 

 

○あらすじ

 頭がおかしいいとこと一緒に馬に乗った「美しい白い馬の夏」

 アホのジョルギおじさんとおつかいにいった「ハンフォード行き」

 最低の農場主で詩人のメリクおじさんと砂漠で農業した「ザクロの木」

 アラムもアホだった「私たちの未来の詩人の一人、といってもいい」

 神秘的なジコおじさんにアドバイスもらった「五十ヤード走」

 鞭うちラブコメ「愛の詩から何からすべて揃った素敵な昔風ロマンス」

 学校中で一番頭がいいディクランの演説「僕のいとこ、雄弁家ディクラン」

 無造作宗教「長老派教会聖歌隊の歌い手たち」

 毎年恒例おやじの鞭うち「サーカス」

 認められた少年たち「三人の泳ぎ手」

 インディアンの車を運転「オジブウェー族、機関車38号」

 おじさんへの老人のありがたい忠告「アメリカを旅する者への旧世界流アドバイス

 きむずかオスローブおじとアラブ人の奇妙な交友「哀れな、燃えるアラブ人」

 ニューヨークへ行け「あざわらう者たちに一言」

以上14編所収。

 

○考察・感想

 親戚に一人は欲しい、「なんかよくわかんないことしてふらふらしてるおっさん」の成分が小説になりました。

 

 そういうおっさんって概して嫌いな人からはすっげえ嫌われるもんだが、これにはそんな存在は居ない。肯定されてる。優しい世界。でもその「ふらふらの方向性」がなんだかやっぱり身近にいる人らと違う感じがする。

 

 アメリカのアルメニア人、というちょっと自分にゃどんな風なのかまるで想像もつかない集団が主になってて、それが却って曖昧模糊とした小説の雰囲気を増幅させている。

 

 

 あとがきを読むと、当時の情勢もあいまって発表当初は「楽観的にすぎる」という批判があったらしい。

 

 ただ、サローヤン自身も決して楽な人生を送ったわけではないことはあとがきにも明示されているし、そうした人達へのアンサーは最後の「あざわらう者たちに一言」で十分示されてる気がする。

 

 信じる、と僕は言った。何を信じるんです?

 何もかもをだよ、と彼は言った。思いつくこと何もかもをだ。左、右、北、東、南、西、二階、一階と四方、内、外、見えるもの、見えないもの、善と悪とそのどちらでもないものとその両方であるもの。それが秘訣なんだ。私はこれに行き着くのに五十年かかったよ。

 それだけでいいわけ?と僕は言った。

 それだけだよ、と伝道師は言った。

 オーケー、と僕は言った。僕、信じますよ。

 君、と宗教の人はいった。君は救われた。もうニューヨークへ行こうとどこへ行こうと、何もかもすらすら楽に行くはずだ。

(p241)

  

  14ある物語中で、哀切を味わうことになるのは「ザクロの木」のメリクおじと「哀れな、燃えるアラブ人」オスローブおじ。

 

 地に足つけろよおっさん、と思うのと同時に、いつまでも夢を見ていて欲しいという感情もあるのが不思議である。

 

以上。