80年代すげえ。
○あらすじ
親を亡くし天涯孤独の身となった女子高生、星泉(薬師丸ひろ子)が実は由緒あるやくざの血を引いていたことが判明、丁度頭目を失った組員に懇願され晴れてめだか組四代目組長に就任する
○感想
↑上のあらすじの内容ぐらいしか知らないで、「どたばたしながらも上手いこと女子高生もやくざも両立されてわーいっていうコメディ映画なんでしょ?」という気持ちで見たら全然違った。
まずヤクザになったことで素行不良と見なされて女子高生は辞めさせられる。
この時点で「セーラー服と機関銃」というテーマから逸れてる気もするが、普段は普通に私服で活動しているのに、要所要所ではセーラー服を着てヤクザ稼業を行うのでそこは心配しなくても良い(何故辞めても制服を着るのか?ということについて一切の説明はない)。
物語開始時点、めだか組は歴史ある古いヤクザであるがその権力は没落の一途を辿っており、構成員も4人しか居ない。
じゃあ薬師丸さんが組長になって立て直していく話か!と思いきや、その4人の部下たちは次々に死んでいくというまさかの展開。
一人目が見せしめに階段に放置されているのを発見しても、悲鳴を上げることもなくすぐに「仇は絶対討ってやる!」と決意する元JKのガンギマリっぷり。
ほぼなし崩し的に組長に就任しているためにメンタル的には普通の少女のはずで、組長としての覚悟を決めるようなシーンを挟んでの上記なら納得が出来るが、そんなとこは一切出てこない。
この辺から僕はこの映画を普通に楽しむことを辞めました。
そっからも突然浚われたと思ったら「生と死の狭間に居るときこそ至高」と語り自発的に地雷踏んで自分の両足を吹っ飛ばした過去を持つ、女性の身体を解剖するのが趣味のお爺ちゃんが出てきたり、次は何を見せてくれるんだろう?という観客の期待を裏切らない話の進行。
凄く赤川次郎さんの原作を読みたい気分です。
インタビューとかを読む感じ、父の死の謎を追う軽めのミステリみたいな?
ただこういう脚本の穴の部分だけ見て本作を駄作とするのはもったいなくて、瑕疵を瑕疵と思わせないような魅力がある。
一つには、非常に独特な相米監督の撮り方。
「長回しとロングショット」を持ち味とされていた方のようで、今作でも部屋で話している二人をガラス越しに取ったり、屋上の会話を上から取ったり、ブリッジしてる薬師丸ひろ子を延々写したり、魚眼レンズを使って撮影したりと、アーティスティックなシーンも多い。
これが先述の脚本と変なシナジーを起こした結果、観客が果たしてどう受け取っていいのかわからないシーンが続出。
「分かりやすい演出なんてしてやらねえ!」ていう熱いメッセージを感じた。
一番個人的に面白いと思うポイントは、この映画が「薬師丸ひろ子のアイドル映画」として当時受容され、興行収入をたたき出したというところ。
今作の薬師丸さんの演技は(多分)結構下手目で、終始身体をぐにゃぐにゃさせてるような感じだけれど、それが却って「星泉」というよくわからないキャラクターを、薬師丸さんなりに頑張って解釈した結果なんだろうな、という、一生懸命真面目に無茶振りに応える子を微笑ましく眺めるような気持ちになれる。
(あるいはあの演技自体も、「自分をもてあます少女」として星泉を考えたときには、とても的を射たものである可能性もある)。
前述の監督の美学のために、役者の顔はよく見えないのに、自然と場面の中の薬師丸さんを注視しているという、紛れもなくアイドル映画として成立する不思議な状態の完成。
ちょっとカルトっぽいっていうところも良くて、例えば十字架に磔にされたりするシーンがあったりする。
そこに凄く当時のアイドルに対する幻想というか、聖性を見ていた時代の匂いを感じ取れたり。
良くも悪くも自分は80年代を知らないので、あらすじだけ見ると「どうせどたばたコメディ」とか安易に思ってしまう。
でもこれは現代に生きている自分の視点だからであって、もしかしたら80年代の人びとにとってはこれが当たり前、という可能性もある。
しかしだとするとほんとに80年代やべえ。ぱない。この辺、詳しい人に教えて欲しい。
何でも今の基準で考えがちだけど、ちゃんと昔の文脈を追わないと昔のものは語れないということをひしひしと感じる一作でもあった。
今作の続編として、『セーラー服と機関銃ー卒業ー』が2016年に橋本環奈主演で映画化されている。
トレーラー見る限りだとこれはどうみても「どたばた」で、1981年から今の時代の変化がすっごくよくわかって面白い。
それともこの映画も、「どうせ」で決め付けないで一回見るべきか。見るべきなんだろうな。
褒められたり貶されたり両論ありますが、個人的には面白い映画でした。
以上。
(※書き終わった後、町山智浩さんが本作について語っているのを発見。動画では始めてみたけど、めっちゃ楽しそうにしゃべってて良い)