ちょっと面白かったのでここに記す。
こんな夢を見た。
高校時代の同級生たちが一堂に会し英語のテストを受けて、その点数について一人ひとり、なんだかお偉い人にみなの前でお説教されるという夢だった。
僕は我ながらひどい点数をとった(100点満点中なんと17点!!)。
その偉い人は、悪い点数の者は容赦なく罵倒していた(良い点数の人に対してどう接してたかは覚えていない)。
そしてついに僕の番になった。
その人は、僕の点数を見るなり、苦笑いの様な表情を浮かべて、僕にこういった。
「応用は出来るけど、基本ができてないんだねえ・・・・・・」
なんだか他の人への態度とはうってかわって優しいその振る舞いに僕は喜び、またほめられたことに内心満足した。
そして、その人が、次の人(名前順じゃなかったから、あいつではないよ)にまた鬼の様な形相で怒っているのを見ながら目を覚まし、すべて夢だとわかって悶絶したのである。
悶絶の理由には二つある。
ひとつは、夢とは自分の内面が露出したもの、という説に従えば、これは、僕が「自分に優しく、他人に厳しい」というくそ野郎だった、ということに他ならないことである。
二つめは、「応用はできてる」といわれたのも夢だったわけで、つまり自分で誉めて自分で喜んた、あれは完全なる自画自賛、僕はナルシストでもあった、ということ。
この二つを悟り、僕は大変恥ずかしく、しばらくベッドで寝返りをうちまくりながら、必死でこの窮地の打開策を捜し求めた。そしてついに気づいたのである。
そう、あの偉い人は、亡くなったおじいちゃんに酷似していたのだ(・・・様な気がする)。
つまり、今朝の夢はすべて、天国のおじいちゃんからのメッセージ、だと思えば良いのである。
同級生を登場させて怒ったのは、昨今の学力低下を嘆いた、ということ。
僕に対しては甘かったのは孫ゆえ。
応用は~のくだりは、点数がひどすぎる僕に対する、必死のフォローだったと考えるとつじつまがあう。
総合すると、「まあ、遊んでないで、勉強もちゃんとやりなさい」ということである。
「何を言ってんだ」と思う人もあるやも知れぬ。
死んだら人は無になるだけだろ、メッセージなんて、んなことあるわけねーじゃん、ついに頭おかしくなったの?と言う人も居るかもしれない。
しかし考えてみてほしい。もしその言説を採用した場合、僕の手元に残るのは、ナルシストという称号だけである。
それはそれで一面の真実を含んでいる様な気がする(というか、その通りである)が、そうなると僕は、「日ごろからなりたくないと思っていた種類の物になっていた」というダメージを食らうだけだ。
しかし夢を、死者からの言葉という風に読み替えると、そのような被害は蒙らない。
そればかりか、日ごろは見向きもしない勉強に、抵抗なく手を出すことすら出来る様になる。良いこと尽くめである。
たとえその説が、「客観的、政治的に正しい」ものでも、それよりも正しくはないが、より「良いこと」がありそうなものがある場合、そっちを採用した方が良い、ということを、僕は内田樹さんに学んだ。
ゆえに僕は、躊躇わず、今朝の夢をじいちゃんからの言葉だと信ずるのである。
ありがとうおじいちゃん、勉強します。でもさ、いくらフォローとはいえ、17点に「基本」も「応用」も無いでしょう。