大学の授業で、「身体感覚を研ぎ澄ます」ことをやった。
普段何気なく行っている動作、例えば呼吸や歩行などを、出来るだけ味わい、集中してやることで、何が見えてくるだろうか?というのがその主旨であった。
その中で私がもっとも驚いたのは、「集中して味わう」をするために出された、バナナの匂いを嗅いだときであった。
改めてバナナを嗅いでみると、複雑で豊かな匂いがする。
しかし、私の頭は、それを「バナナの匂い」とだけしか、認識しえなかったのである。
つまり、私の脳内では、バナナの匂いはバナナの匂い、という他と隔絶されたカテゴリーに区分されており、それ以外の解釈が一切できえないものになっているということである。
それはトラウマと同じであり、私の言語能力の限界、ひいては私が見ている世界の限界を示すものである。
私には、それが、本当に、とても悲しかった。
ちなみに、バナナはその後ありがたくいただいた。
バナナはやっぱりおいしかった。