あまりにも推奨レベルが高すぎてちょっと手に負えないよね、という話は、聞かされた後のその話の置き場が自分の中に無くてずっと変なもやもやが残る。
成長するに従って、この話はあのカテゴリ、あの話はこのカテゴリ、と言う風な区分付けは上手になっていき、その分だけ心に直接どかんと来る様な経験は少なくなるもので、そういうのが時たま来るとびっくりするもんだ。
人は日常、自分の表層の部分しか使わずにお互い生きてるわけだけど、ふとした瞬間にその奥の、本人も整理のついてない何かがガッと出てくることがあって、それは受け取る側としてもよく分からないけど何だか凄いものとして大抵は受け取られていく。
もやもやが晴れたというのは、それだけ自分が成長したということであって、それは嬉しくもあり悲しくもあることだ。
まあなんでこんな話になったかといえば、昨日思いがけず重い話を聞いちまって、しかも長年かけて熟成されていた分だけ若者のそれよりも何倍か重く、もうどうしようもねえってなってるからである。