表題の通り。
中高では私はPASMOユーザーだった。
だから私の中では電子マネー=PASMOで、友達の定期入れから時折覗くSuicaに違和感と由来の分からない微かな羨望を覚えながら、日常の電子マネー決済を全てPASMOで行なっていた。
大学に入った時、私はふとした気まぐれでJRみどりの窓口で定期を作った。
その結果、手元に届いたのはSuicaだった。私は初めて、PASMOとSuicaの違いは発行会社の違いなのだと知った。
しかし私の中の、電子マネー=PASMOという認識は中々揺らぎを見せなかった。
コンビニでちょっとした買い物をする時、私の口をついて出るのは「PASMOでお願いします」の一言だった。手に握っているのはSuicaなのに。そうした際、私はいつもチリチリと胸が痛むのを感じていた。それは事実の通りSuicaと言うことのできない罪悪感だったのかもしれないし、自分への不甲斐なさだったのかもしれないが、今となっては分からない。
次こそはしっかり「Suicaで」と言おうと決意し、また実際にそうしてみることもあったが、そうした時は言い知れぬ虚無感が私を襲った。
私の中の何かが、強硬に自分はPASMOユーザーだと主張していた。メトロから私が脱却することは認められていなかった。
しかしどうした心境の変化だろうか、最近は、「Suicaで」と躊躇いもなく言っている自分に気づく。ついに私は、Suicaを持っている自分を受容することができたのだ。
もしかしたら私は、ようやく高校を卒業したのかもしれない。