①認識は変わっていなかったのに、自分が変容していたパターン
自分が幼少期を過ごした街にこの前行った。あんなに広いと感じていた道は、実際はめちゃくちゃ小さかった。
はた迷惑な話で、あの頃幼稚園から帰る時、皆でわちゃわちゃな横並びを作って歩いていた記憶がある。
その凄い多人数で並べた、という記憶をずっと引きずっていたのだけれども、実際は大人が四人居れば肩がぶつかってしまうぐらいの幅しかなかった。
②認識そのものが変容したパターン
小学生の頃は、夜家の前の坂道を歩くのが怖かった。
お年寄りばかりが住んでいるような所で、早々に皆さん寝てしまうし、申し訳程度についている街灯は弱々しい明かりしか灯さず、無論団欒の声が漏れ聞こえてくることもない。
その道を一人で行くのは本当に怖かった。マンホールの下、水が流れる音だけが嫌に大きく響き渡る中、誰かが追いかけてくるのではないか、角から何かが飛び出してくるのではないかと怯えていた頃を思い出す。
無論今は全くそんなことはない。なんなら真夜中に自分から家を出ていくことさえある。
あの時暗闇の中に見ていた何かは、果たしてどこにいってしまったのだろう。
③空白を認識したパターン
毎日歩いている場所で、ふと目を上げたらたまたま「閉店しました」という張り紙が目に入った。
どうも何かの飲食店だったらしいが、一度も入ったことは無いし、そもそもそこに店があることさえ知らなかった。
張り紙は閉店以上の情報を語らない。ただ、自分がかつては認識していなかったその場所に実は何かがあって、それが知らない間に失われたという。
考えてみるとそのとき自分は、獲得と喪失を同時に経験した、あるいは喪失を獲得したわけで、それはなんだか面白いかなと思う。