寝楽起楽

最近は頑張って読書感想ブログにしてます。

          読んだもの、見たもの、調べたこと、考えたことについて書くブログ          

ベビーカーに乗りたい。

性癖暴露とかそういうのではないです。

 

年の離れた弟がいるせいか(とはいえ彼ももう大きくなってしまって、昔はほっといても後ろついてきたのに今ではこっちが構ってもらってる状態で、自立を感じて寂しい)、なんとなくちっちゃい子がいるとそっちに目がいっちゃうんですが、この前見た子が抜群にベビーカーを楽しんでて凄く良かった。

 

 

両足を外にぬっと突き出して、ジェットコースターに乗ってるかのように手はしっかりお腹の前の安全棒?を握り締めながら、その顔は光り輝いてました。全身で風、感じてます!みたいな。そんな雰囲気。とても良い。

 

 

んでそれみてふと、ベビーカー乗りてえな、と思ったわけです。これ公開して大丈夫ですかね、不安になってきました。

ほんとはツイッターで呟いて終わりにしようかと思ったんですけど、ベビーカー乗りたい、てツイートだけするとガチで心配されるか敬遠されるかの二択だと思ったので、長々経緯を説明できるブログに書いてるんですが、語りに落ちていく感半端ない。

 

GWの際、長野の山の上にある神社に行ってきまして。

長々と登っていく先にあるんですが、後半から完全にただの雪山なんです。

f:id:marutetto:20170523164448j:image

 これが滑る滑る。行きはよいよい帰りは怖いで、下山してる人たちはもう例外なく転んでいく。

 

ももう途中から完全に諦めて、座って滑って降りてったんですが、それが結構楽しい。

 

で、その楽しさの要因って、勿論スリルとかそういうのもあるとは思いますが、一番は自分の身体を自分で制御してない、という事態そのものだと思うんです。

 

心臓を意識的に止めることは出来ない、ゆえに我々は身体を制御できていない、とか言われたって、現実的な知覚の中では、僕らは歩こうと思わんと歩けないし、打とうと思わないと文字も打てません。

 

自分でない何かに、強制的に動かされる、それは非常に稀で、だから面白い(合氣道とかに通じる話になってきました)。

 

ただこの論法だと、動く歩道とかエスカレーターでいいじゃんってことになっちゃうんですよね。ただあれらに乗ってて気持ちいいかって言われると全然そんなことは無くて、多分あんまり動かされてる感がないからじゃないかと思います。

 

例えばベビーカー、車椅子でも良いですが、に乗るとすると、車輪が石畳の小さな凸凹を噛んだり、後ろから誰かに押されているという感覚がダイレクトに来るんじゃないかと想像されます。

 

動く歩道エスカレーターはそれがない。

あれらにとって大事なのは、乗った人たちをその状態のまま運ぶということで、極端にいえばワープみたいな、瞬きしたら着きました、みたいなそういうのが多分理想。

 

で、多分ベビーカーはそうでない。勿論ワープがあれば子育て中の方々も大助かりだと思いますけど、ベビーカーの目的の第1は当然子育ての負担の軽減にあるわけです。

 

その目的の中にたまたま移動という大きなくくりが有って、エスカレーターとかと重なってるだけで。

だって実際、ワープが発明されたって、ベビーカーって存在はなくなんないだろうし。

ずっとだっこしてるわけにもいかないし、赤ちゃん置いとく場所がいるから。  

 

なんかなんでこんな話になってんだ?今のくだり必要だったか??

 

だから結論としては、身体を制御できない状態っていうのが人間にとっては結構楽しいことで、それを味わうのにベビーカーって最適じゃねって話です。

 

ジェットコースターとか、ああいうのは、恐怖を主軸にしてしまっているのでまた別カテゴリーです。少なくとも自分の中では。

 

この結論の大きな問題は「ベビー」カーであるというそこに尽きますね。

 

車いすでも目的には充分叶うんですけど、車いすに乗りたいっていう発言も別ベクトルでやばいと思いましたんで、こんなタイトルになってます。

 

とここまではネタで書いてんですが、どうも大人用ベビーカーなるものを実際に作った会社があるようで。

 

m.youtube.com

 

世の中はマジで広いですね。

以上。