雨の演出の美麗さ最高。
○あらすじ
バッシングで学校に行けなくなった女性教師と靴職人になりたい学校の生徒がお互いの素性は知らず雨の公園で心を通わせ合う
○感想•考察
「愛よりも昔、孤悲のものがたり」というキャッチコピーにはやや考えるところあり。
確かに雪野先生のほうは謂れのない悪意に晒され「歩くこと」も上手に出来なくなり、でも他人とはどこかでつながっていなければならない「孤独で悲しい」状態で、だから靴としてもま繋がりとしての役割も果たしてくれる孝雄を求める、というのはとても理解できる。
問題は孝雄。未だ少女のような恋愛を繰り返す母の下育った彼は年の割には相当自立した存在。
また彼は同時に、兄とも、学校内でもちゃんとした関係を築き上げることができている。つまり、孤独ではない。
そして何より、作中において孝雄は雪野先生に惹かれていることが明確に描写される。
つまりこちら側からすれば、これは孤悲ではなく恋の物語なのではないか?と思うわけです。
孝雄の側からも孤悲なのであれば、キャッチコピーがこれなのは納得なんだけど、いまいちそこを掴みきれなかった。
もしくは「孤悲」の概念解釈そのものを間違っている可能性があるか?
雪野先生のそれを、「孝雄に自らの本心を明かしきれない(本質的に孤独のまま)の悲しみ」
孝雄のそれを「先生が全てを明かしてくれない悲しみ」と取ってみる。
ただこの場合も、孝雄の描写が弱いかなあ。やっぱり彼が雪野先生と比較して孤独ではないのは自明だし。
彼の悲しみの根源は知ることができないこと、にあるとすると、その表現はものすごく難しいでしょうね。
雪野先生の視点からすれば、孝雄の知らない彼女の情報を視聴者にだけそうと分かるように見せてあげればそれで済みます。
しかし孝雄の場合はそれへの切望を描かなきゃいけない。結局のところ大部分をそこは独白で補ってた気がするけど、そこをもっと映像表現でも頑張ってくれると個人的にはもっと突き刺さる作品になったかも。
以上。