寝楽起楽

最近は頑張って読書感想ブログにしてます。

                ネタバレには配慮しない感想ブログです。

ゆるやかに連帯する16編:『小川洋子の陶酔短編箱』 小川洋子編 2017年 河出文庫

 でも、文学の中で起こる偶然を、私はどうしても素通りできないのです。それに出会う時、いつでもささやかな喜びを感じ、いっそう文学を求める気持ちが強くなっています。たぶん本の世界には、私が思うよりもずっと広大で意味深いつながりが張り巡らされているのでしょう。その軌跡の一端を目にすることは、世界の秘密に触れるのと等しいのです。

(本著p8 文庫版によせて編者)

 

 こういうコンセプト。

 

小川洋子の陶酔短篇箱 (河出文庫)

小川洋子の陶酔短篇箱 (河出文庫)

 

 ○あらすじ

河童の恋の相談 川上弘美「河童玉」 

思いがけぬ婦人の躍動 葛西善蔵「遊動円木」 

オペの愛 泉鏡花「外科室」 

何もかも欲しい 梶井基次郎「愛撫」

幻想動物園 中井英夫「牧神の春」

新しさへの合わせ方 木山捷平「逢びき」

ハカナクナル 魚住陽子「雨の中で最初に濡れる」

死者からの取立て 井伏鱒二「鯉」

広がる足跡 武田泰淳「いりみだれた散歩」

行ってしまった多くのもの 色川武大「雀」

日常の色が変わるとき 平岡篤頼「犯された兎」

二年越しの追悼 小池真理子「流山寺」

観察された人達 庄野潤三「五人の男」

楽しく悲しい 武者小路実篤「空想」

カテゴリー不能 日和聡子「行方」

私の場所じゃなかった 岸本佐知子ラプンツェル未遂事件」

 

以上16編所収。

備忘録のためもあって書いてるはずなんだがこれじゃ内容わからんな・・・どうしてこうなった・・・。

 

○考察・感想

 気に入った奴については、それが入ってる本に当たってその本全体でまた紹介したいと思うので、今回は中身については触れられないです。すみません。

 

 ユーモアあって好き→「河童玉」「ラプンツェル未遂事件」「空想」

 驚きあって好き→「遊動円木」

 雰囲気あって好き→「外科室」「愛撫」「牧神の春」「雨の中で最初に濡れる」「鯉」「雀」

 訳わからんけどこれは凄いのではないか→「行方」

 

 こんなもんかな。個人的には日和聡子さんが一番の掘り出し物。「行方」も入ってる『御命授天纏佐左目谷行』(ごめいてんてんさずかりささめがやついき)と『校舎の静脈』を読んだけどこれも良かった。記事書く時間あったら紹介します。

 

 短編を読むときの心構えって長編とはまた違うよなー。長編は頁数多い分それだけモチーフが丁寧に追われる傾向にあるので、やっぱりこっちとしても気持ちそうなる。

 

 短編は、この本では最短は3頁ぐらいかな?で、それだけで完成を目指す分構成がすごく切られてて、読者としてはまだ途中じゃねと思うようなところで突然放り出された結果、途方に暮れるようなことになったりする。場合によっては最初っから置いてかれたりな。

 

 そういうところも含め短編は味わい深いもんだと感じた。

 

○印象に残ったシーン

 唯見れば雪の寒紅梅、血潮は胸よりつと流れて、さと白衣を染むるとともに、婦人の顔は旧の如く、いと蒼白くなりけるが、果せるかな自若として、足の指をも動かざりき。

(中略)

 「痛みますか。」

 「否、貴下だから、貴下だから。」

 かく言懸けて伯爵夫人は、がつくりと仰向きつつ、凄冷極りなき最後の眼に、国手をじっと見守りて、

 「でも、貴下は、貴下は、私を知りますまい!」

 いふ時晩し、高峰が手にせる刀に片手を添へて、乳の下深く掻き切りぬ。医学士は真蒼になりて慄きつつ、

 「忘れません。」

 その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿。伯爵夫人はうれしげに、いとあどけなき微笑を含みて高峰の手より手をはなし、ばつたり、枕に伏すとぞ見えし、唇の色変りたり。

 その時の二人が状、あたかも二人の身辺には、天なく、地なく、社会なく、全く人なきが如くなりし。

(p50-51「外科室」より)

 

 麻酔なしで貴方に胸を裂いてもらうのでなければ嫌だ、といい、またその手術中に突然劇するその凄絶さ。

 「その声、その呼吸、その姿、その声、その呼吸、その姿」って、同じことを何回も繰り返してるこの表現に今気づいた。

以前『金色夜叉』読もうとして挫折したけど、今なら読めるようになってるかなあ。

 

 父親は、息子たちが頭を空にしている、というより、そんなふうなことを頭の中にいつも居座らせていることを非常に嫌がった。

 「ぼやぼやしている――」

 といった。けれども私たちはも、電車ごっこはやらない。頭の中の絵葉書はもう、父親だって蹴散らすことは出来ない。それで、

 「お前たちは、蛾だ――」

 といったりした。それから、

 「お前たちは、虫だ――」

 ともいった。そういうことをいわねばならない親というものは哀しかったと思う。

 (中略)

 父親が死んでしばらくして、弟がこういった。

 「おやじ、今、何してると思う」

 弟は、そっと打ち明けるように、私に言った。

 「おやじは、伊勢の方に居るよ」

 「ーーどうしてわかる」

 「おやじの小机の上に、鉛筆があって、それに、伊勢市、と金文字が入っているんだ」

 「おやじは誰かの家に居るのか」

 「ああ。小机に坐って、たくさんの紙に絵や字を書いているのさ。まわりは田んぼで、雀がいっぱい来ている」

 「それで、何か話したか」

 「雀の戸籍を作ってる、俺が訊いたときはそういってたな。一枚ずつ、雀の絵が描いてあって、毎日、どれが何をしているか、書きこんでるんだ。舌をちょっと出して、一生懸命書いてたよ。俺達の後生よりいくらかよさそうだな」

 「ああ、いくらかな」

 と、私は言った。

(p192,199-200「雀」より)

 

  多分これ、すげえおっさんになった後の会話、というとこが良い。

  親的には全く役には立たないとされていた、息子達の空想の中で、その死は悼まれている。

 

 兄 僕はきっと自分の道をわき目もふらずに進んで見ますよ。僕にも成算の希望があるのですから、それに向かって。

 妹 いらっしゃい/\、ほんとにいらっしゃい、妾、お兄さんのような人の妹に生まれたのが嬉しくってよ。

 兄(涙ぐむ)余り嬉しいので涙が出ました。

 妹(涙ぐむ)妾も。

 兄 貴方がいなかったらどんなに淋しいでしょう。

       *

 彼はこう書いて来て元気にはなったが涙ぐんだ。彼にはこう云う妹も恋人もないのである。

(p104-105 「空想」より)

 

 他のどの話よりもこれが一番泣ける。