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最近は頑張って読書感想ブログにしてます。

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有機体を為す街:『乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ話』 ラティフェ・テキン著 宮下遼訳 河出書房新社 2014年(原著1984年)

 一日中巨大なダンプカーが都市から出るゴミを運んで来ては捨てていく、とある丘の上に幾つものゴミ山がそびえていた。ある冬の晩のこと、そのゴミ山から少し離れたところに松明のあかりをたよりに八軒の一夜建てが築かれた。翌朝、一夜建ての屋根にその年はじめての雪が降った。一夜建ては木の板とかゴミ集積場から馬車で運んできたレンガとかで出来ていて、屋根には大量の油紙が貼られていた。このあばら家を最初に見つけたのはゴミ漁りの人々だった。

(本著p3より)

 

 街の始まり。

 

乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺

乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺

 

 

○あらすじ

 農村から出てきて都市には入れない人たちが勝手に街つくる

 

○考察・感想

 時代設定的には近代だし住んでる場所も都市(の周辺)なんだけど、物語全体を支配しているのは農村の民話・伝説的な価値観なので、そのミスマッチさが不思議かつ素敵。

 

 一生懸命作った家を解体業者に壊され、また作り、壊され、しまいには屋根を風に吹き飛ばされ、何をするかと思えばその風に向かって石を投げたりする。

 

 冷静に考えると悲惨な出来事(工場から出てくる青い排水で体洗って皮膚ずるむけになったり)もたくさん起こるけれども、それが身に降りかかっている彼ら自身は彼らの価値観の結果平然としているように読めてしまう。

 

 解説によればラティフェ・テキンは、「わたしたちの言葉」=農村の言葉を使いこの小説を作り上げたそうだが、どこまでが農村の人々のリアルで、どこまでがフィクションなのかが、門外漢である我々には非常にわかりづらい。

 

 ただタイトルが「おとぎ噺」なので、それはもうそういうものとして受け取ればいいのかもしれないし、がっつり読みたければ解説のトルコ文学史およびテキンの人となりを学習してから入ればよいと思う。

 

 全体としてテキンが描こうとしたのは、国民だの、経済だの、そういった近代的価値観の一切合切から完全に離れた、ほんとうにただただ身辺だけを生きていた時代であり、だからこそ解説の通り、この物語における主人公は「ゴミの丘」、かつそのゴミの丘の街で語り伝えられる伝承そのものであろう。

 

 多分トルコ語で読んだらもっと楽しいんだろうなぁ、と思った。