寝楽起楽

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愛のディスコミュニケーション:『私たちがやったこと』 レベッカ・ブラウン 柴田元幸訳 マガジンハウス 2002年

  あなたは両腕で私を包み込んで、言ってくれた、明るいわよ、明るいわよ、明るいわよ、明るいわよ、と。そしてあなたは私を抱きしめて、言ってくれた、今夜はもうずっと、朝が来る直前まで明るいのよ、朝になったらギャラリーが開く前にここを出なくちゃね、と。

(「愛の詩」 p94より)

 

 二人の間だけで完結できるすばらしさ/できない悲しさ。

 

 

私たちがやったこと

私たちがやったこと

 

 

○あらすじ

本人不在の新婚生活:「結婚の喜び」

目と耳お互い潰せば二人きりになれる:「私たちがやったこと」

言いたくなかった言葉:「アニー」

秘密の共有:「愛の詩」

ナポレオン絶対殺すウーマン:「ナポレオンの死」

心の友の喪失:「よき友」

美しく終わらせたい醜さ:「悲しみ」

以上7編所収。

 

○考察・感想

 作者がレズビアンということもあり、性別はあんまり明らかにされないまま進む話が多く、まあ一応肉体関係的な描写も匂わせる程度はあるけれども、ある種純粋な愛というもの、それを目指す苦しみ、みたいななんかそういうものが書かれてると思った。

 

 具体的な形では明示されてはこないので、合わない人はとことん合わなそう。

 

 「あんたがここにいるから……」もっと長くためらう。「だから楽しいよ」

 自分の考えにすっかり夢中になっていたせいで、私はもう少しでその言葉の意味を取り逃がしそうになる。それどころか、私のなかのある部分は、とりのがそうとさえする。でもそうでない部分は、自分が一緒にひざまずいて彼女に触れ、彼女を両腕に抱き寄せる姿を想像する。けれどももう一方の部分はそそくさとそこから逃げ出す、物事にうわべ以上の意味なんてないんだというふりをして。

(「アニー」p78-79)

 

 「もしもし?もしもし?大変ですーーもしもし?大変なことが起きたんですーーもしもし?人が刺されたんですーー聞こえませんでしたーー私には聞こえないんですーーもしもし?」

 私は電話口にとどまって、これを何度も繰り返した。なぜなら私にはわからなかったからだ。いつ誰かが電話に出てくれるのかも、理解してもらうのにどれぐらいかかるのかも、そもそもいつかはわかってもらえるのかどうかも、何があったのかを私がなぜうまく言えないのかも、私たちがやったことを私がなぜ言えないのかも。

(「私たちがやったこと」 p46)

 

↑このあたりが一番来た。

 

 一番ついてけなかったのは「ナポレオンの死」だけれども、これはそもそも歴史上の偉人ナポレオンを訳もなく殺したくなっちゃった子が、恋人とその一点でもって決定的に合わなくなる(そりゃそうだ)という話で、これを理解できてしまったらそれはそれでおしまいという気もする。

 

 少なくとも自分はナポレオンは殺したくない、というかそもそも殺す・殺さないみたいな次元にナポレオンは立ってないけど、人によってはもしかしたら殺してえっておもてるかもしんないし、その感情というのは完全に他人からは理解不能なもんで、そういう端から見れば隔絶されたもんを皆持ちながら生きてるんだろうし、別にお互いに理解なんて全くできんでもしっかり世の中が成り立ってるっていうのは不思議な話ですよな。

 

 あと「悲しみ」の、上にあげたあらすじまんまなんだけど、美しさを目指す過程はでも醜い、というのはなるほど確かにだった。そこんとこも克明に描写されてるわけではないから多分そういう話ってだけなんだが。でもだからといってじゃあ全部欺瞞じゃん、なんて方向に行っちゃうと、それはその通りなんだけどでも地獄だし、つうか文学なんて言っちゃえば全部嘘ついてるようなもんなのかもしんないし。

 

 多分、ある意味では、自分で自分に嘘つくのは結構きついものがあって、だから他人に嘘ついてもらうために本読んでるところはあるんだろーなー、と思いました。なんの話だこれは。

 

以上。