部屋の中に明りがさした。ボヘミアンネクタイがマッチを擦ったのだ。それから火をランプに映した。ボヘミアンネクタイの上半身が障子に映った。鳥打帽を脱いだ手巾を取った。それは間違いもなく僕の妹の横顔だった。
……いや決して美人ではなかった。ただ月光と長襦袢が僕に夢を売りつけたのだ。
(「初恋(尾崎)」 ラストより)
明けがた、雪が降り出しました。雪はクヌートの足の上につもりました。それでも、クヌートはまだ眠っていました。ーー村の人びとが教会へ出かけました。するとそこに、ひとりの職人ふうの若者がうずくまっていました。その男はもう死んでいました。凍え死んでいたのですーー柳の木の下でーー
(「柳の木の下で」 ラストより)
まじでまともに成就したといえるの一編もなかった。美しい恋とは。
○あらすじ
・誰が踏みそめしかたみぞと:「初恋」 島崎藤村
・同性愛によろめく:「燃ゆる頬」 堀辰雄 1932年
・祭りの幻想:「初恋」 尾崎翠
・身分違いの夢:「柳の木の下で」 アンデルセン 1853年
・センチメンタルの病:「未亡人」 モーパッサン 1882年
・謎の貴婦人:「エミリーの薔薇」 フォークナー 1930年
・恋文ノンフィクション?:「ポルトガル文」
・夢を売る画廊:「肖像画」 ハックスリー
・あいつに惚れてる貴方に惚れた:「ほれぐすり」 スタンダール 1830年
・春風さやさやかぐや姫:「なよたけ」 加藤道夫 1943年
以上12編所収。
○感想・考察
実は数年前にもこの本については記事にしたことがあって、ただ飛んでもらえれば分かるとおり最初の方のものしかコメントしておらず、なんでかというとそこで一度投げ出したからである。ということで今回は再チャレ、無事読みきることに成功した。
安野光雅さんの感想が感想でなく、しかもその話もまた結局成就していないというところがなんとも味わい深い、のか?
全体の印象の感想を言うと、欧米の作家のは恋愛の世界の追求(「柳の木の下で」「ポルトガル文」)と、作品によってはそれを許さぬ世間(「ほれぐすり」)みたいなとこにスポットが当たってるのに対し、日本はちょっとコミカルだったり(「初恋」「隣の嫁」)そもそも恋といえるか微妙だったり(「藤十郎の恋」)。
なんで、欧米のはわりに着地地点が予想しやすい(成就か破滅か)のに対し、日本のはこれどこにころがんの?みたいなとこがあった。どっちがいいかはまあ一長一短。
予想のつかなさ一位はダントツで「なよたけ」。そもそもかぐや姫が実在したかどうかすらよく分からなくなっていくという。この脚本で演劇見れたらさぞ面白かろうと思った。
愛の重さは「エミリーの薔薇」と「ポルトガル文」で甲乙つけがたい。後者はノンフィクション説がずっと有力で、最近は創作という風に見られてる(?)みたい。相手のフランス人将校がどんな顔してこの恨みつらみがこもった手紙を読んでたのかが気になって気になってしょーがなかった。
ちなみに、壮絶一位は「藤十郎の恋」ほのぼの一位は「初恋(島崎)」です。
前者は描写の迫力、後者はそもそもまともにのびのび恋愛について書いてるの島崎さんしかいねーんだもん。美しい恋とは。
以上。