物量にものを言わす米軍に対し、弾薬も底をついた日本兵は、敵軍を驚かすために英語で叫び声を上げながら突撃した。元大尉は語る。突撃してきた日本兵たちのひとりがこう叫んだのだという。
「ヘル・ウィズ・ベイブ・ルース!」(Hell with Babe Ruth「ベイブルースと一緒に地獄へ落ちやがれ)と。ベイブ・ルースとはもちろん、アメリカのあの有名な野球選手のことだ。だが、どうしてベイブ・ルースなのだろう、とその老年の元大尉はいぶがしがる。「ヘル・ウィズ・ルーズベルト」なら分かるのだが、と言って。(…)「ヘル・ウィズ・ベイブルース」 ⋯⋯日本兵のその言葉を、彼は繰り返す。彼がけっして領有することの出来ない言葉。自分のものにはなし得ない言葉。しかし、自分に取り付いて自分を話さないその言葉。記憶のなかに落ち着く先を持たない<出来事>。
(本著p79,81)
専門が現代アラブ文学ということで戦争のことが深く取り上げられており、題材が題材なのでいつもより真面目に読んだ。
○内容要約
「熱い水に手を入れている者は、冷たい水に手を入れている者と同じようには感じない」、すなわち<出来事>の外部に居る者には、どんな話を聞きどんな映像を見たところで、<出来事>の内部のことは分からない。
○感想・考察
自分の既知の中に回収可能な事としてずっと見てきた物の中に、ふいにどんなに手を伸ばしても届かんような生々しい何かが晒け出てきて硬直する、みたいな経験は多分皆さんあるんじゃなかろうか。本著はこれについてのお話。
特に第一章と最終章、作者さんの経験した<出来事>について書かれた箇所がやはし一番面白かった。
語ることも出来ない(=記憶としてしまいこめない)<出来事>全般について「語る」というのは大変なお仕事だと思うけれども、これには確かに岡真理さんの言葉で、記憶的にではないあり方で<出来事>について記述されており、適当に手に取った本だったわりに良いもの読まさしてもらえました。
得たいの知れないものにはとりあえず名前をつけといて安心する、妖怪名づけ的思考法が自分に染み付いているようなところがある。
そのあり方に疑問を持ったりもするけれども、本著読んでると<出来事>を抱えて生きるのは大変苦しそうで、そういう意味では俺ってめちゃめちゃ楽に過ごしてるんだろうな。
例えばこういう読書感想を書くにしても、本を読むという経験は一つの<出来事>と言えなくもない。なんだけど、いざ感想を綴るにあたりなんともいえない気持ちの揺れ、書いた言葉の外にある云いたい事、とかそういうもんに自分が注意を払うかというと全然であり、だから自分が「分かった」ことについてしか記述がない記事が出来上がる。
でも本当は書けない部分について書くことが必要なんだろうと思うし、書評とか読むだけじゃなく実本に手を出して<出来事>を経験しないといけないし、それは本に限らず多分なんでもそうなんだが、後は自分の気力と要相談ですね~。
皆さんも出来ればこの本を読むという<出来事>を経験してください。一緒に<出来事>について考えましょう。
以上。