寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

不調和の中の調和:『尼僧とキューピッドの弓』/外れてる人達:『犬婿入り』 多和田葉子

 違いますよ日本人ですよ、と道子は 仕方なく答えた。ああトヨタか、と言って最初の男が艶めかしく笑った。わたしはトヨタなんかじゃない、と思ったとたんからだが小さな自動車になってしまったような気がした。

 何しろあいつは頭が”トラビ”だから、とかつての東ドイツから来た友人の悪口をトーマスが言ったことがあった。そんな風に軽く言い放つトーマスは自分をベンツにしてしまっているのだった。ベンツになったトーマスは、みすぼらしく見えた。道子にはどんな高級車でも、ある種のみすぼらしさを感じずにはいられなかった。世帯じみた人間の見得や自動車工場のイメージが重なって、みすぼらしさを感じてしまうのだった。

 わたしは自動車なんかじゃない。そう思ってみても、自動車の製造をしていない国の人の目には自分もまた一台の自動車のように見えてしまうのかも知れないと思った。道子は息苦しくなって歩調をゆるめた。

(『犬婿入り』の一編「ペルソナ」よりp40)

 

 外国留学とかする人には普遍の悩みなんですかね。

 

 

尼僧とキューピッドの弓 (講談社文庫)
 

 

 

犬婿入り (講談社文庫)

犬婿入り (講談社文庫)

 

 

○あらすじ

・ドイツの片田舎の千年続く修道院の人間模様をつぶさに観察しました:『尼僧とキューピッドの弓』 

・日本人より前にわたしでわたしより前に日本人で:「ペルソナ」(犬婿入りに所収)

・妖怪はここに居る:表題作「犬婿入り

 

○感想・考察

 前に紹介したエクソフォニーの本が激面白かったので、小説はどんなもんじゃろと思って読んだ。

 

 わたしは本当は、意味というものから解放された言語を求めているのかもしれない。母語の外に出てみたのも、複数文化が重なりあった世界を求め続けるのも、その中で、個々の言語が解放され、消滅するそのぎりぎり手前の状態に行き着きたいと望んでいるのかもしれない。

(『エクソフォニー 母語の外へ出る旅 p157)

 

 と多和田さんは言っていまして、『尼僧とキューピッドの弓』のつかみどころのなさはこれが由来だろうかと、ある方の「何語で書かれててもおかしくない」という感想を見て思った。

 

 特に第一部が透明無色、無味ではないから小説として読めはするけど、多分多和田さんのことを知らない人が読むとまったくといっていいほど作者の顔が見えないか、あるいは淡々としたドキュメンタリーが主体の人だと誤解するかどっちかなんじゃないだろか。

 

 それだけ色を出さずに書けるというのも一つの類稀な才能であると思う。思うけど、一般的に小説を読む人が求めるような条件からは大分外れてるので、その辺予め了解しないときついかもしれない。

もしかしたら、解説先に読んでから手を出すほうが面白いかも。「弓道」と「クピード」で韻とか、気づかんかった。こういう言葉遊び的なことも相当に好きな人らしいので、こんなちょっとしたとことか探しながら、多和田さんと一緒に遊んだりすると良いのかも。

 

 

 手軽にすげえ!と思いたいなら、『犬婿入り』のほうがお勧めです。

次に引用するのは、「電報」なる謎の手紙が届いたかどうか確認するため、訪問してきた謎の男とのシーン。恐らく本著を紹介する際には一番引用されているであろう。

 

「電報、届きましたか」

 とまた尋ねるので、みつこは、あわててまた首を左右に振り、男は、みつこのショートパンツを、袋から鞠を出すように、するりと脱がしてしまって、自分はワイシャツもズボンも身につけたまま、礼儀正しく、あおむけに倒れたみつこの上にからだを重ねて、犬歯をみつこの首の肌の薄そうなところに慎重に当てて、押し付け、チュウチュウと音を立ててすうと、みつこの顔は次第に青ざめてきて、それからしばらくすると、今度は急に赤くなって、額に、汗が噴出し、ねばついてきて、膣に、つるんと滑り込んできた、何か植物的なしなやかさと無頓着さを兼ね備えたモノに、はっとして、あわてて逃れようとして、からだをくねらせると、男は、みつこのからだをひっくりかえして、両方の腿を、大きな手のひらで、 難なく掴んで、高く持ち上げ、空中に浮いたようになった肛門を、ペロンペロンと、舐め始めた。その下の表面積の広さや、ゆたかにしたたり落ちる唾液の量、そして激しい息遣い、どれを取っても、文字通り<人並み>ではなく、しかもみつこの腿を掴んだその大きな手は、この猛暑の中、少しも汗ばんでこないし、震えもせず、随分長いことそうしていたが、そのうちあっとみつこを抱き起こしてその顔を覗き込んだ黒目の中は静かで、額にも鼻にも汗の粒ひとつ見えず、髪の毛はとかしたてのようにきちんとしているので、みつこが思わず手を伸ばしてその髪の毛に触れてみると、タワシの毛のように堅く、その下の膚は牛皮のように強くなめらかで、みつこは魅せられたようにその頭を撫で回していたところ、男は何も言わずしばらくまじめな顔をしていたが、突然、下半身に何もつけていないみつこをそこに残して台所へ駆け込み、もやしを炒め始めた。

(p98-99)

 

 たったの二文でこの量。この長さにも関わらず、文庫で読んでると意外とさらっと読めちゃうというのも凄いことで、同じ長文でも「息をつかせぬ」とか「怒涛の」とかそんな表現が頭につきそうな作家さんは幾人か居る気がするけれども、そんな雰囲気はないんすよね。

 

     『尼僧』とは異なり、なんとなく日本語の情念に連なるような書き方がされてて、純粋に文章の個性を読む、というような楽しみ方が出来ます。

 

 ストーリー的にも、みつこさんも変な人だし、何故かこの初対面のまんまいついちゃう「男」も変な奴だし、さっぱり理屈も分からないまま、ズルズルと物語が何となく進展していくのをただ見守るしかない。何が書いてあるのかさっぱり理解は出来ないけどなんかすげえ!という気持ちになれる。お勧め。

 

以上。