寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

沈む館からの脱出:『遠い声 遠い部屋』 トルーマン・カポーティ 河野一郎訳 新潮文庫 1955年(原著1948年)

 ポーチの上の3人は、木版画にきざまれた姿のようであった――りっぱな枕の王座にすわった老人、主人の膝に寝そべり、その足元にぬかずく小さな召使を、溺れゆく光の中でじっと見守っている黄色い愛玩動物、そして祈祷を捧げるかのように、ひときわ高くさし上げられた黒い矢のような娘の両腕。

 だが、ジョエルの胸には何の祈りも浮かんでこなかった、というより、言葉の網に捕らえられるものが何一つなかったのだ。ただ一つの例外を除いて、今までの彼の祈りはすべて単純な、具体的なものばかりだったからであるーー神様、僕に自転車をください、刃の7つついたナイフをください、油絵具の箱をください。だけどそれにしたって、いったいどうしてあんなあいまいな、意味のないお祈りが出来るんだろうーー神様、わたしを愛されるようにしてください、なんて。

「アーメン」ズーが呟いた。

 とこのとき、はっと息を吸いこんだように、沛然たる雨がやってきた。

(本著p102-103)

 

 どこ切り取っても読ませる文章になるので、どこを抜き出してくるか迷った。↑の最初の段落みたいな表現のオンパレードで、読むのに体力いります。

 

 

遠い声遠い部屋 (新潮文庫)

遠い声遠い部屋 (新潮文庫)

 

 

○あらすじ

 顔も見たことの無い生みの父親の元に引き取られることになった13歳の少年が過ごす折れ曲がった青春の日々

 

○感想・考察

 比喩が見境なく出てくるために深読みの幅がめちゃめちゃ広そうな本。CiNiiで検索かけたらこの本の論文が10件出てきた(自分の思った感想にしたいので、それらは未読のままつらつら書いてます)。

 

 僕は現実では出会ったことないんですが、独自の人生を否応なしに歩んできて、全然世間からは認められてないのに、叩いてみると凄く意味深長で意味不明な話が飛び出してくる老人キャラって小説とかで出てくることないですか? 

『遠い声、遠い部屋』は、あの種類の人の少年時代を追ったような作品だと感じます。

 

 裏表紙には、「近づきつつある大人の世界を予感して怯える一人の少年の、屈折した心理と移ろいやすい感情を見事にとらえた半自伝的な処女長編」て書いてありますが、これだと青春を肯定的に描いた作品みたいにも受け取れちゃいますよね。少なくとも僕はそう読んじゃって、そしたら本編全然違いました。否定的なわけでもないけど。

 

 「自殺すると作者は公言していた」とか「酒と麻薬に溺れた」とかあとがきにある通り、確かにそういう人が書くお話だとは思います。でもだからといって変に鬱屈しているというわけでもなく、却って凄い綺麗な表現が飛び出してきたりもする。

 書き上げた際は22歳(同い年で戦慄)だったそうで、余すことなく、どころかやや過剰にまでその才能を注ぎ込んだ作品であることは確かでしょう。

 

 カポーティは『ティファニーで朝食を』を書いた人でもあるそうです。こっちは名前聞いたことある方も多いのでは。家のどっかにはある気がしますが、まだ読んだことは多分ない(?)と思うので、こちらもいずれ読みます。

 

以上。