寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

『少女終末旅行』観て読んだ感想

 

 

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 (原作1巻から)

 

いつもの如く凄いネタバレします。

後未読勢にはよくわからんかも。

 

www.youtube.com

 

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

 

 

 ○あらすじ

 チトとユーリが人類終わった後の都市を生き抜くために旅をする

 

○感想

 2ヶ月ぐらい前にHULUに登録しました。

 

 それで今頃ようやく『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』観てあの花やべええええええとなり『少女終末旅行』見てつくみずさんやべええええとなってるわけなんですが、あの花は劇場版まだ観てないんで、『少女終末旅行』の感想書きます。

あの花について書くかどうかは未定。

 

 で、『少女終末旅行』について。

 2017年秋にアニメをやり、今年の3月に原作漫画最終巻が発売され、とまだそんなに日数が経ってるわけではないので、どこかで見聞きしたのを覚えている方も多いのではないかと思います。

 『けものフレンズ』とかと併せて「心地よい破滅もの」みたいなジャンルであることが発見されて話題になったりもしてましたね。

togetter.com

(↑でも『灰羽連盟』は「滅びた世界で豊かに生きる」話じゃない気がする)

 

 かわいいタッチの女の子二人が、明日生きていられるかも分からない世界の中でお互いを頼りにしつつ、都市の最上部に行けば何か希望があるかもと漠然と信じて頑張るというお話。

 読者にとって一番のページ捲る動機は「この二人の先にちゃんと未来があるのか」ってとこになると思います。

 ですが、途中たった二人だけ登場するチトとユーリ以外の人類、登場する地図を作ることを生きがいとしていたのに全て紛失してしまうカナザワ、飛行機作って都市を脱出することを目指すも空中分解してしまうイシイ同様、二人の旅路も「絶望と仲良くなる」がテーマになるわけで。

 

 チトとユーリはやっとこさ最上部に辿りつくも、そこには過去の誰かが残した黒い石があるだけ。生き残った人類達が集落を作っていて、暖かく二人を迎えいれてくれる…なんてご都合エンドは当然のように無く、二人は最後に残った食料を食べ、降りしきる雪の中、身を寄せ合って眠りにつく。

 そこから数ページ都市の描写が入った後、ラストで二人が寝た場所に雪がつもり、被っていたヘルメットと鞄が打ち捨てられている、という描写で終わります。

 

 二人の死体等が明確に描かれておらず、また黒い石がひょっとしてもしかすると古代文明の遺産でそれが起動したのかも、という少しの期待の余地を残してくれています。

そのために、

「あそこから二人は宇宙人とかに救われてハッピーエンドに終わったんだよ派」

「話のテンション的に雪が積もって凍死か餓死かしたでしょ派」

「どっちにしろチトとユーリはお互いが居ればそれでいいことになったからハッピーエンドだよ派」

 等々の派閥が生まれているようですが、私は後者二つに所属しています。

 

 だからハッピーエンドだったね、で自分の中で〆て終わりでよかったはずなんですが、どうにももやもやしたもんが残ってて、それが何かということをここ数日考えてました。

 

 そこを突き詰めて出てきたのは、結局チトとユーリの旅には一体何の意味があったのだろうか、という部分なんです。

 

 上で一瞬触れたカナザワは「地図を作る、残す」ことに固執している様子が見え、イシイも「人類の末端に刻む飛行」という言葉や、「誰かに見ていて欲しかった」という言葉から察せられるように、「何かを残す」ことに意識的でいることが伺えます。

そんなカナザワもイシイも、チトとユーリと別れた後どこかで人知れず亡くなったと思しき描写があり、チトたちが都市最後の人類であろうことが意識化されていきます。

つまり彼らのことを、なんらかの形で残していけるとすれば二人以外にいないわけです。

 

 しかし、カナザワからもらったカメラ(そこには文明崩壊前の写真も多数保存されており、とても長く稼動していたことがわかるのですが)は旅路の途中で失われます。

楽天的で今を生きているユーリとは対照的に、本好きで歴史好きなチトは日記を書いていたんですが、それも旅程終盤で焚き火の燃料として燃やされることになります。

 

 ↑このシーン好き

 

 そうしてお互い以外の何もかもを失っていきながら、最上部に託していた希望もついに消え、でも「生きるのは最高だったよね」「見て触って感じられることが世界の全て」と振り返るシーンは感動的ではあるのですが、同時に私はすげえ哀しくなりました。

 

 チトとユーリが、自分達で最上部に行くことを選択した結果の終末としてはあれ以上のものは無いだろうと確信しています。

ですが、最後の人類になってしまい誰もその後の歴史で触れてくれる生き物は居ないかもしれないけど、居てくれる可能性を信じて何らかの「記録」を残す、そんな描写が欲しかったと思います。

俺だって誰かは分からんけど誰かは読んでくれるだろうと思ってこの記事を書いているわけですが、それは別に未来の自分自身でもいいわけだけど、何かは伝わっていってくれるだろうみたいな期待をチトはずっと持って日記を書いてたはずなのに、最終的に「ユーリさえいればいい」になっちゃうのかぁ~~~~という寂しさ

作中に出てくる日記の文面を解読すると、「こんにちは。わたしはちと。」とか挨拶から始めてるものがあったりして、誰かに読まれる前提で書いてたことが伺えるみたいです)。

まああの状況で二人の関係性的にはそれは仕方ないし、重ね重ねあれ以上の終末はないと思うんですけど。

 

 というところまで書いて気づいたんですが、ユーリが美術館に残していった絵、あれを記録として観ることが可能かもしれませんね。

そういえばチトがふと「何かを残していくのはユーリみたいなやつなのかもな」と呟くシーンがありましたし。記録者としての視点で見るとどうしてもチトに着目しがちになってしまいますが、あの時にユーリがその存在になることが示唆されてるのかも。

 

 で、ユーリの話もしたいんですよ。

 どちらかというとチト目線で語られることの多い話だったので、ユーリの性格って掴みきれないこと多くないですか?

 2話目、どっちが多く食べるかで軽く揉めた時にじゃれあいの範疇とはいえチトに銃を向けるとこで「こいつ単なる馬鹿キャラではないのか?」という疑念が生じ、話が進んでくと「やっぱ馬鹿キャラなのか」で落ち着くんですけど、またそれをうっかり古代兵器のビームを発射させて大炎上する都市を見てげらげら笑う姿で「やっぱ単なる馬鹿キャラじゃない、の?」ってなって。

 

 「記憶なんて生きる邪魔だぜ」とか名言も多い、そんな「今を全力で生きる=子供的」である彼女が、二人の間では銃を持つ係=いざとなれば人を殺す役回りであるというのもなんとも。実際に殺した描写は本編中にはないんですけど、本編前は謎。

 

 原作者のつくみずさん的にも、恐らくユーリをどうするか、という点は悩ましいところだったと思うんですよね。その揺れを一番大きく感じるのは、色んな感想を観ると言及してらっしゃる方が居ますが、アニメのEDと原作の最終話の差異です。

 

 アニメのEDなら原作とはあんま関係ない、というのはこの作品に限っては当てはまらず、つくみずさん自らが申し出て一から十までEDつくみずさん一人で作られてるんですよね。

 しかもTwitter上で「アニメ放映前~放送中が丁度最終回を描いてたとこだった」と発言されており、また二人で雪合戦をするというシーンがどちらにもさしはさまれていることから考えると、アニメのEDと原作の最終話は大体同じ時期ぐらいにつくられたものだろうと推察できます。

 

 その二つの違いはどこにあるかっていうと、その雪合戦シーンで、ユーリが大きく口開けて笑ってるか笑ってないか。原作では、ここはユーリが胸の内を告白する場面になってます。

 

 また最終話前話に注目すると、突如ユーリが「死ぬのは怖い」と発言したり、暗闇が怖いと言ったり、握った手が震えていたり・・・と、突然弱さが凄く強調されてるんですよね。

 

 雪合戦のときにしたって、アニメのほうだと「後悔なんてしたってしかたねえぜ!」とか言いそうなんですけど、それじゃ駄目だとつくみずさんは思ったんでしょう。

その路線だとユーリが超然とした存在のようなままで、結局二人はお互いを理解しきれず孤独で終わる、とも読めてしまう。

だからユーリも普通の女の子であるように描ききった。

 

 「わかんないよ!どうすればよかったのかも どうしてこんな世界に二人っきりなのかも」って、チトも同じようなことを言いそうな台詞なんですけど、それをユーリが言ったというのがとても良いです。

 

 書いたらすっきりしました。つくみずさんの次回作がどんなテイストになるのか楽しみです。

 

 以上。