存在すると思われていない世界の人々は、しかしごく当たり前に生きていて、彼らの過去と現在を生きている。記憶の中で、過去の様々な経験は一つに溶け合っていて、彼らはその経験と共に生きている。(…)誰のために、何のために、私は「家(チベ)の歴史」を書こうと思ったのだろうか。最初はもちろん、私のためだった。私はなぜここにいて、こんな思いをしなければならないのかを知りたかった。けれでおも、もしかしたら「空白」を埋める一助になるのではないか、とも思っている。
記憶によって書くことが可能になる歴史がある、と私は信じている。
(本著『終わりに』p296-297)
世の中知らないこといっぱい。
〇内容
在日コリアン三世の筆者が自分の一家の歴史をインタビューからひも解く
〇感想
オーラルヒストリーって基本的にはインタビュイーの語り口を再現しつつ収録するんだけど、この方たち、皆関西弁なんすよね。
それがま~話が生き生きしててね。
こんなに相性いいもんかってのが一つ発見でした。
一個一個のエピソードが凄絶だったりするだけに、余計に。逃げようっつって知らない人についてって、山の中で草食べて過ごした話とかね。
『家の歴史』ってタイトルから、てっきり3世代ぐらいにまたがるもんかと思ったけど、インタビュイーは全員叔父さん・叔母さんで、それがまた興味深かった。
皆さん、「家」って言ったとき、叔父叔母まで含めます?その発想がまずもって自分には無いし。
あと、「済州島四・三事件」をはじめとする歴史について、ある程度こっちが知ってるかのように書いてくるのも考えさせられるところ。
この本を書いた朴沙羅さん自身が、まぎれもなく「在日コリアン」として僕の知らない世界を受容して生きてる証左のように思えました。
勿論多少の補足は入るし、事前知識無くても読み通せるようになってることも付記しておきます。
「空白を埋める」ことによって、その周辺の巨大な空白に気が付いた、つうのが今の僕の状態で、もっと話を聞いてみたいですね。
「在日コリアン」というテーマ。
かつインタビューから歴史を描くオーラルヒストリーの手法。
どちらもどこかに偏らせるのが非常に容易な材料で、だからあんま読まれることないかもしれない。
ただそれでこの本を捨てるのはもったいない。
だいいち、偏ってたって面白い本は面白いはずなんですよ。
有名ツイッタラー(?)のダ・ヴィンチ・恐山曰くですね、思想の偏りに全く別の判断を持ちこむのはおかしな話であると。
思想は偏っていてもまっとうでいられるっていうのが彼の主張で、良いこと言うなあと思いましたね。
こういうしんどいテーマのものを読むときには、その人が「まっとう」かどうかっていうのが自分の中では大きな基準なんですが、それでいえば朴さんはこちらが何もいうことないです。
まあ俺の思う「まっとう」が人によってはガチ頭おかしいこともあるだろうけど、そんなんはもう言い出したらきりないし。
3月を0更新で乗り切り、気が付けば新元号も発表されてびっくりなんですが、新年度もこんな感じでちょこちょこ更新していければと思ってます。
以上。