火を燃やすのは楽しかった。
ものが火に食われ、黒ずんで、別の何かに変わってゆくのを見るのは格別の快感だった。真鍮の筒先を両のこぶしににぎりしめ、大いなる蛇が有毒のケロシンを世界に吐きかけているのを眺めていると、血流は頭の中で鳴り渡り、両手はたぐいまれな指揮者の両手となって、ありとあらゆる炎上と燃焼の交響曲をうたいあげ、歴史の燃えカスや焼け残りを引き倒す。シンボリックな451の数字が記されたヘルメットを鈍感な頭にかぶり、つぎの出来事を考えて、目をオレンジの炎でかがやかせながら昇火器に触れると、 家はたちまち猛火につつまれ、夜空を赤と黄と黒に染め上げてゆく。彼は火の粉を蹴立てて歩いた。夢にまで見るのは、古いジョークにあるように、串に刺したマシュマロを火にかざしてぱくつきながら、家のポーチや芝生で、本が鳩のようにはばたきながら死んでゆくのをながめること。本がきらめく渦を描きながら、煤けた黒い風に乗って散ってゆくのを眺めることだった。
(本著p11-12)
かっこいい……。
〇あらすじ
本が禁じられた世界で本を燃やす仕事、昇火士に従事していたモンターグが、ある日妄想好きな女の子に出会ったことから段々と世界に疑問を覚えるようになり、やがて色々するようになる
〇感想・考察
華氏451度――この温度で書物の紙は引火し、そして燃える。
↑この裏表紙のあらすじの出だしすらもかっこいい。
カッコイイ―って言ってたらいつの間にか読み終わってた。そんな感じ。
SFというと『サイエンス』・フィクションだから、なんかマニアで硬いイメージがつきがちだけれども、手を出してみると全然普通に楽しめる。
中二心をくすぐってくるフレーズが一杯あるので、ラノベから一歩進んだ本が読みたい!とかそんな人にもおすすめ。
凄く素朴に、レイ・ブラッドベリさんは本の可能性を信じていた人なんだろうと思う。そもそも危険とみなされなきゃ本を燃やすって発想にも至らないわけだし。
しかし自分がこの世界に居たらやっぱり本は多分こっそり持ってただろうな。本と心中してる人が作中には出てくるけど、実際「読めなくなるか、死か」みたいな状況になったら割と悩むよねえ。世間の本好きと比べると全然読書してないんだけど。
だから老眼になったらどうしようっていうのが今一番の悩み。
「よく、考えるんだよ。祖父が亡くなってしまったせいで、いったいどれくらいのすばらしい彫刻がこの世に出ることなく終わってしまったのだろう、どれくらいの冗談がこの世から失われてしまったのだろう、祖父の手のぬくもりをしらない伝書鳩はどれくらいいるのだろう、とね。祖父は世界をかたちづくっていた。たしかに世界に働きかけていた。世界は祖父が亡くなった晩に、一千万もの素晴らしいおこないを失ってしまったんだよ」
(…)
「人は死ぬとき、なにかを残していかなければならない、と祖父は言っていた。(…)お前が手を触れたものとはちがうものに、お前が手を離した後もお前らしさが残っているものに変えることが出来れば、なにをしてもいいと」
(本著p260-261)
本を燃やすというモチーフからは、前紹介したこの本↓を思い出す。
この小説の中の本を焼いたのも、やっぱり華氏451度の炎だったんだろうなあ。
『華氏451度』も『密やかな結晶』も、「伝わってきたものをちゃんと伝える」ことが大きな命題としてあるけれども、その描き方はだいぶ違くて、でも同じ物語として読むことも出来て。
後の経験が前に読んだ本の考察を深めたりする、こういうことがあるからやめられねえんだよな。でもブログ書いてなかったら多分忘れてた。ブログ万歳。
以上。