・白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
哀愁牧水。
○内容
23才~43才までの間に出した十五冊の歌集から1700首を選出。
○感想
冒頭に挙げた「白鳥」しか知らずに若山牧水好きとか言ってるようじゃいかんと思い、読了。
牧水はいついかなるときでも悲哀を持つ人である。
・われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ
そもそも創作の源泉がかなしみだし、
・おもひみよ青海なせるさびしさにつつまれゐつつ恋ひ燃ゆる身を
人妻に恋をするという道を歩んでしまったせいで苦しむし、
・きさらぎや海にうかびてけむりふく寂しき島のうす霞みせり
趣味である旅をしてもこういうところに目がいき、
・たぽたぽと樽に満ちたる酒は鳴るさびしき心うちつれて鳴る
酒を飲むとかえって寂しさがまし、
・しのびかに遊女が飼へるすず虫を殺してひとりかへる朝明け
女遊びをしてもなんか闇落ちしてるし、
・膝に泣けば我が子なりけりはなれて聞けば何にかあらむ赤児ひた泣く
自分の子どもの泣き声に同調までしてしまう。
ただ牧水がその辺の太宰治にあこがれるこじらせ文学男子と違うところは、女々しくはないというところ。
・みな人にそむきてひとりわれゆかむわが悲しみはひとにゆるさじ
・幾山河超えさり行かば寂しさの果てなむ国を今日も旅ゆく
寂しさ、悲しさは絶対に消えないという確信から彼は出発している。
歌の比重がこれらに偏っているのは、牧水がそれらから逃げなかった証明としても読むことができると思う。
また牧水の歌は輪郭が非常に明瞭でわかりやすいことが特徴。 これは、歌いたい対象が本人の中ではっきりしていることからくるのかもしれない。
・一心に釜に焚き入る猟師の児あたりをちこちに曼珠沙華折れし
こうした風景を詠んだものにしても、取り扱う題材は如何にも叙情めいたものばかり。
ただ、並の人ならただその風景の一部を言葉にしただけで終わってしまうところ、牧水の歌は、その背後にある風景全体がぱっと脳裏に浮かんで来る。
・菜をあらふと村のをみな子ことごとく寄り来りてあらふ温泉(いでゆ)の縁に
・人の来ぬ夜半をよろこびわが浸る温泉あふれて音たつるかも
前者は「ことごとく寄り来る」からかしましく雑談に興じながら手を動かす女性たちが、後者からは湯が溢れていく音はもちろん、湯につかり身体を伸ばしてしみじみと温まっている感じ、もうもうと上がる湯煙や、人によっては遠くに山を望み星がまたたき、虫の声が聞こえてくる露天までを想像するかもしれない。
これはおそらくわかりやすさが一個極まっているために、読者それぞれが持っているイメージと瞬時に同化してしまうからだと思う。
そしてそれは、現代短歌が全体的に歩んでいこうとしている方向とはたぶん正反対の位置にある。
・人の来ぬ谷のはたなる野天湯のぬるきにひたるいつまでとなく
今は人が来ない道かもしれないけれども、なんとなくこのぐらいの立ち位置でずっとこうした歌は残っていってほしいと思った。
図らずも温泉の歌が多くなってしまった。
以上。