(占い書『尚占影響』について)
相談人は、生活に困って娘を女郎に売った父親だ。その娘に恋人ができた。ところが、相手は財布の軽い色男。別れよと命じても聞かぬどころか、別の店に住み替えをしたいという。それで得たカネを男に貢ぐというのだろう。そこで「松井センセ、いったいどないしたら、ええんでっしゃろか?」と来た。私ならば、占う前に横着な親のほうを叱りつけたい。松井先生は、こんな質問にも丁寧に答えているので、感心する。
(p36から)
売った後も親子の関係が残っていることが意外。
○内容
愛知にある、岩瀬文庫という古典籍コレクションの目録を作る仕事に従事した筆者が、目を通した1万2千タイトルのうち面白かった56冊を図版つきで紹介。
○感想
今週月曜まで開催してた「世界を変えた書物展」の日本版がないものかと思って探して読了。
珍奇と銘打たれているけれども、内容がぶっ飛んだものを選んでいるというわけではなく、資料としての貴重さなども選抜の対象になっているみたい。
ややタイトル詐欺であることは否めないけれども、自らを小人に変えて庭園を旅するSF的書物『礫渓猿馬記』、12才の神童が書いた漢詩集(中には「月下独酌」なんつうマセたものまである)『桃仙詩稿』、決闘の立ち会い方などを事例ごとにまとめた武士教本『八盃豆腐』などなど、読んでみたいと思わせられる本が多く紹介されていた。
何がしかを紹介する系の本って、ほんとに表面的な情報開示だけに終始してしまって何が面白いんだかさっぱりわからんようなものが多かったりする。
そうした類は大抵、読者対象を専門家に限定しちゃってたり、伝えようとする意思がそもそも薄かったり、紹介するものを当人がちゃんと読み込んでなかったりするもんである。
今書いてるこの記事もそうなりつつある気がする。ブーメランを投げてしまった。
ただ本著の場合はそれは心配無用。
まず、一冊一冊すべて塩村さん自身が目を通し、自分で自信をもって選んでいる資料群である。
さらに、初学者にもわかりやすいように、本の中の具体的なエピソードなどを中心に紹介しつつ、それに軽やかに突っ込みを入れていくというスタイルで記述が成されている。
かつ、もっと学んでみたいと思った人たちに対しては、くずし字の学び方なども教えてくれているという親切設計。
旅行で食べたものを丁寧に記述したり、悪いことをしたら鬼が来る、と教える教育本があったり、あるいは女遊びに狂って身を持ち崩す男が書く吉原マニュアルがあったり。いつの時代も人は変わらないという文言は、しばしば言われることである。
先日紹介した旅芸人の本に見えるように、風景というものは決して戻ってはこず、そこで生きていた情感という部分についても、想像で補うほかにできることはない。
ただそこに繋がる可能性のありうる回路として、ここまで豊富な面白い資料が存在するという事実にはなんとはなしに勇気づけられた。
またそれは同時にそこで生きていた人々に、思いを馳せる契機にもなった。
ある日のこと、いつものように山と書物を積み上げた広い調査部屋で、独りで仕事をすすめていた夕暮れ時、この部屋にあるすべての書物が、今ここにあるのは、ことごとく死者の営為によるということに、ふと気がついた。それらの本の著者はもとより、本を印刷した人、写した人、製本した人、紙を漉いた人、あるいはかつて所蔵した人、売買した人、集めた人、ここに運んできた人、整理した人など、一人の例外もなく今はこの世に居ない。考えてみれば当たり前の話で、この感覚がうまく伝わるかどうか心元ないのだけれども……。そしてそのとき、自分も、彼ら古人たちと一本の糸でつながったような、不思議に安らいだ気持ちを覚えた。
(p24)
これと同じかはわからないけれども、おそらくは近いような感情を覚えられた時点で、私にとっては本著は良著となった。
以上。