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聴く・する・語る:『音楽の聴き方』 岡田暁生著 中公新書 2009年

 音楽は決してそれ自体で存在しているわけではなく、常に特定の歴史/社会から生み出され、そして特定の歴史/社会の中で聴かれる。どんなに自由に音楽を聴いているつもりでも、私たちは必ず何らかの文化文脈によって規定された聴き方をしている。そして「ある音楽が分からない」といいうケースの大半は、対象となる音楽とこちら側の「聴く枠」との食い違いに起因しているように思う。私たちは皆、特定の歴史/社会の中で生きている以上、音楽の聴き方もまた、それらからバイアスをかけられるのはいかんともしがたい。自由に音楽を聴くことなど、誰にも出来ない。ただし、自分自身の聞き方の偏差について幾分自覚的になることによって、もっと楽しく音楽とつきあうことが出来るのではないかーーこれが本書において最も私が言いたいことである。

 (「はじめに」より)

 

 当たり前だけど重要。

 

 

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

 

 

〇内容要約

 「聴く・する・語る」が一体だった時代から、近代に入りそれぞれの分業が行われ、かつドイツロマン派やら国民国家の登場に伴い「音楽は国境を越える」っていう観念が支配的になって久しいけど、そろそろ脱却してまた聴いて・語って・やりもする時代になったら楽しくないですか

 

 

〇感想・考察

 単に音楽の聴き方の偏差にだけに終始して終わるのではなく、その歴史的拝啓・思想にしっかりと目を向けている点で労作だと思った。

 

 「意味なんていらねえ、音楽は感じるもんだ!」みたいな派閥の人々にも配慮が見られ、西洋音楽を中心に据えているものの、音楽全般に大変に心が行き届いている。

 惜しむらくはあまりにも音楽アゲをするせいで、他の芸術分野との比較の際にちょっと行き過ぎてる感じがなー。別に貶してるとかいうわけでもなし、愛の表れとして見れば全然許容範囲ではあるんだけど、ちょい気になった。

 

 個人的に一番面白かったのは、説明の際に、当時の音楽家/批評家の言説や、筆者自身の経験を惜しみなくつぎ込まれていること。

 それらを通読することで見えてくるのは、岡田先生自身の文脈を重視する「聴く型」そのもので、こればっかりは読んでみないと得心がいかないところだと思います。

 

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

 

 

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 副読本としてこちらも読んだ。

 自分、「第九はジャジャジャジャーン、ではじまるアレ」ぐらいの知識しかないぐらいにはクラシックに疎いんですが(訂正。第九と運命って違うものなんですね、、、)、そんなんでも楽しく読んで「こういう流れなんすね」て把握出来ました。

 歴史系の本って暗黙のうちに初学者を対象から外すことが多くて、この本も「周知のように」とか作者名+作品名とかを知ってる前提で出してきたりとか、そういう本のポイントを稼いでるはずなんですよね。

 にも関わらず私が普通に読めてしまった、というのは、岡田先生の力量のなせる業のような気がします。何を言ってるのかがわかんねーな、てなることが無かった。

 

 

 以上。