人生は、最初のページをめくったら、次のページがあって、次々めくっていくうちに、やがて最後のページにたどり着く一冊の本のようなものだと思っていたが、人生は、本の中の物語とはまるで違っていた。文字が並び、ページに番号は振ってあっても、筋がない。終わりはあっても、終わらない。
残る――。
朽ちた家を取り壊した空地に残った庭木のように……
萎れた花を抜き取った花瓶に残った水のように……
残った。
ここに残っているのは、なに?
(p7-8)
独特な心情文と細か(すぎる?)ディティール描写が挟まる文章で、最初はわりと戸惑いました。
■1行あらすじ
JR上野のホームレスの老人が、なにもかもを失っていった人生を回顧する
■感想・考察
あらすじでは「人生を回顧する」としましたが、言葉から受ける生ぬるいもんじゃないです。
息子と娘のために東京に出稼ぎにでて、皆の顔を見ることなくひたすら働くさなかにおきた、息子の突然死。
それ以来、
「死にたいというよりも、努力することに、疲れた(p56)」
という思いにさいなまれながら、それでも娘のために働き続け、やっと故郷に帰れたと思ったらほどなく妻も亡くなってしまう。
そして男は少しの曲折を経て、ついにホームレスに……というバックグラウンドが、前後なく語られていきます。
昔語りがすべて、今男が見聞きしているものから連想される。
より正確には、「彼が今目の前で見ているものが、すべて彼を過去に呼び戻していってしまう」という文章の作りになっています。
男は息子の死によって人生の「おわり」を感じ、同時に「自分は残ってしまった」という気持ちがずっとあるようです。
不幸なことに、それはその後の生活で薄れるどころかむしろ増していってしまうわけですが、
「それを書きたいならこう書かざるを得ないだろうな」
という説得力があります。
また、過去の描き方も独特で、「現在に接続されていない過去」を見ているような印象を持ちました。
「男の心情を反映している」という側面は勿論、思い出す過去の物事それ自体が、現在では顧みられない信仰や文化がテーマになっているように思います。
解説でも一部触れられていますが、男自身が「ホームレス」という社会から外れた存在になっているのも注目すべき点だと思います。
男が、福島の浜通り生まれ、というのもあからさまに示唆的です。
あの出来事も終盤に絡んでくるのですが、
「これも忘れるのか?」
という問いを投げかけるべく、書いた部分があったのだろうと想像します。
著者の柳美里さんは、「山の手線シリーズ」と題し、これまでに『JR高田馬場駅戸山口』と『JR品川駅高輪口』も執筆されているようです。
本作はブッカー賞受賞という点と、友人から勧められたのがあって手に取ったのですが、駅としてのなじみは高田馬場と品川のほうがどちらかというと近いので、この2作も機を見て読みたいと思います。
ではまた。