寝楽起楽

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百折不撓のおじさん、王位獲得によせて

 木村一基(46歳)が、自身初となるタイトルを獲得し、「木村王位」となった

歴史的な瞬間から数時間が経ち、俺は今祝杯の日本酒、天狗舞を飲みながら、この記事を書いている。

 

 正直、「木村さんが王位の世界線の空気うめえ~~~!!」とかいいかねない

テンションなので、読み苦しい面もあるかもしれないが、そこは容赦してほしい。

つうかいっとくか。木村さんが王位の世界線の空気うめえ~~~~!!!!!!

 

 

 木村一基は、将棋のプロ棋士である。

 最近になって将棋を見始めた人に、「誰きっかけで?」と聞けば、大体が藤井聡太の名を挙げるだろう。それほどまでに、藤井七段の活躍は目をみはるものがある。

 しかし、「藤井が好き」というただそれだけでは、将棋の対局をずっと見続けることはできないはずだ(なかにはそういう人もいるらしいが)。

 なぜなら基本的に、ルールがわからなければ将棋とは退屈なものであり、基本的には人間二人が、盤を挟んで延々と向かい合っているだけだからである。

 「今、盤面で何が起きているのか?」を、我々のようなアマチュアが知ることができるのは、それをわかりやすく説明してくれる、解説者がいるからだ。

 

 木村一基は第一に、「解説名人」として知られている。

 飽きさせない軽妙なトーク、どんな人とも柔軟に合わせられる性格はファンに愛されること留まることを知らず、「おじおじ」「将棋の強いおじさん」などの愛称で親しまれ、将棋界の中での好感度は堂々の第一位(俺調べ)。

 ファンサービスも有名で、特に対局後に相手と振り返りを行う「感想戦」の際に、普通は負けたら口が重くなるところ、見ているアマの我々のことを考え、あえて明るく振舞い、軽口をたたくところなど、知れば知るほど胸が熱くなる。

 

 木村一基は第二に、「千駄ヶ谷の受け師」として知られる。

 時には得意の「相手の攻め駒を攻める受け」、時には大将である王をするすると動かしながら、いつの間にか相手の攻めを切らす棋風は独特のものがあり、棋譜を見れば「木村さんのだ」とわかる、数少ない棋士の一人だ。

 将棋漫画「ハチワンダイバー」のヒロイン、中静そよの二つ名、「アキバの受け士」が木村からとられていることは、自明だろう。

 

 そして第三の、そして最も不名誉なあだ名が、「無冠の帝王」というものである。

 木村がデビューを果たしたのは遡ること22年前、1997年の4月のことだ。

 私はその時まだ2歳なので、当時の事情を知っているわけではないが、「10代にプロになっていなければ、プロになってから充分に活躍するのは難しい」と、根強く信じられていた時代だった、というイメージがある。

 例をあげれば、木村のわずか3つ上の羽生善治などは、木村がプロの養成機関に入った1985年には中学生にしてすでにプロとなり、1996年には7つのタイトルを独占、棋界に並ぶ者のない絶対王者として、頂点に君臨をしている。

 そんな活躍を横目に見ながら昇級・昇段を重ね、2段・3段リーグで足踏みをしながらも、ようやくプロとなったとき、木村はすでに23歳になっていた。

 

 しかし木村は、その後の活躍がめざましかった。

 2002年度には、若手の登竜門の一つであるトーナメント棋戦、「新人王戦」で

優勝。2005年には初のタイトル挑戦(挑戦の資格を獲得した対局の後、盤の前で涙を流す写真は、木村ファンであれば見たことがある人が多いだろう)も果たし、さらに2007年には、一流の棋士しか在籍のできない、順位戦「A級」のリーグにまでかけあがった(2010年度陥落)。今では20代でのプロ入りも増えているが、間違いなく木村一基は、彼らにとっての希望の星となっていることだろう。

 

 だが、そんな彼も、タイトルにだけは長らく恵まれることがなかった。

 初タイトル挑戦となった竜王戦はストレートで敗退、その後計6回もタイトル挑戦まではいくも、いずれも獲得には至らなかった。知らない人向けに書いておくが、「挑戦者」になるだけでも、ざっくり言ってプロ棋士が百数十人いる中での二番目の位置までは来るということであり、本当に大変なことなのである。

 加えて木村は、「後1勝すれば初タイトル獲得」という勝負を計8局敗北しているという、おそらく今後破られることはほぼない記録を保持している。特に2009年、深浦王位(当時)とのタイトル戦では、3連勝からの4連敗を喫し、これは後に深浦九段が「あの後数年間は、木村さんと口が利けなかった」と話すほど、大きなチャンスを逃した。

 

 「おじおじのタイトルを諦めない」――これは、木村のタイトル獲得を切望するファンたちのキーワードであった。しかし一般にプロ棋士は、年齢を重ねれば重ねるほど、頭の回転が鈍くなっていく(「脳内の将棋盤がかすむ」という現象が起こるらしい)と言われており、なかばこれは祈りに近い、冗談のようなものですらあった。

 

 しかしそんなファンの予想をいい意味で裏切り、去年から木村の充実ぶりはいちじるしく、昇段規定によって九段になったかと思えば、その後順位戦A級に復帰。さらには今年の6月、羽生善治九段に勝利し、3連勝から4連敗の因縁のある、王位戦への挑戦権を獲得。

 今度の相手は、こちらも「恐ろしく強い」という評判がありながら、長らくタイトルには恵まれず、ついに昨年、怒涛の勢いで三冠を獲得した、豊島将之(29)。

 年齢差実に17歳差の勝負、若いほうが有利とされる将棋にあっては、正直木村が勝てるとはほとんど思われてはおらず、正直俺もダメかと思っていた。

 

 しかしそんな木村は、そんな下馬評を覆した。蓋をあけてみれば両者の勝負は全くの互角。合間を縫った進行した別のタイトル戦、「竜王戦」でもなんと木村は挑戦者決定戦まで勝ち進み、しかも相手はまたまた豊島。同じ相手との「十番勝負」という、あまり例のない進行となったが、終わってみればあわせて5勝5敗、一歩も引かぬ戦いを繰り広げてみせた。

 

 竜王戦の挑戦者は豊島に取られ、迎えた王位戦第七局は、昨日今日(9月26-27)の二日間で行われた。

 振り駒の結果、先手は豊島に分かれ、しかも戦型は最も豊島の得意とする角換わり(多分、勝利8割はある)。もうこの時点でほんとダメかと思ったが、しかし、木村はやり切った。相手の得意戦法を真っ向に受けて立ったうえで、最後まで一切緩むことなく、勝ち切ってみせたのだ。

 棋界の歴史において、初タイトルを獲得した最年長年齢は37歳。実に9年弱もうわ回り、彼の座右の銘、「百折不撓」、つまり、何度失敗してもあきらめない信念を体現する、偉業であった。

 

 今日私ははじめて有給を取り、将棋会館で行われた、高見七段・中村真梨花女流三段の大盤解説会に参加していた。スマホで中継をみつつ、ファンの人々と対局を見守っていたのだが、一手進むごとに興奮の声があがるあの空気は、本当に独特のものがあった。

 「27角打った!」「45桂馬跳ねた!」木村の勝ちが近づいている、そんな確かな予感を、あの時皆が共有していた。動画のコメント上でも、「泣いた」「俺はもう泣いてる」などなど、豊島ファンには悔しい時間でもあっただろうが、木村の初タイトルを、皆が祝福していた。大盤解説会会場にも、涙ぐんでいるファンがあちこちにいた。

 

 これを書きながらも、俺は今ほんとうにほんとうにうれしい。次は王位戦就位式の日付を調べ、有給が取れるよう算段をはじめなければならない。

 最後に。今まで木村、木村と呼び捨てで書いてしまっていたが、この称号とともにおじさんのことを呼べる喜びを感じながら、しめくくりたいと思う。

 

 木村王位、初タイトル、本当におめでとうございます。