寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

妖怪手首見せ

「そういえば、他人に手首見られるの平気になったの?」

 

とふと聞かれ、そういやそんな時代があったと思い出したのはつい先日のこと。

 

自分の手首を意識するようになったのは、小学生のときにみたニュースだか夢だかで、「理科の実験中、誤って手首を切ってしまい、そこから血がドバッと出た」という映像を植え付けられたところからだった、と記憶している。

 

さらに自分は生来、血が若干苦手というか、自分の肉体が他と同様生きた物として機能していることに違和感を覚える、というか、「この肉体ってやつなんなん? 普段言うこと聞くように見せといて、中では意味不明な動きしてるし、、」と、思っていた節があった。

 

この疑問と、手首からは血が出るというイメージが徐々に結びつき、一皮剥くと得体の知れないものが噴き出てくる象徴、自分のコントロールできない、自分の弱点めいたものとして手首を捉えるようになっていった。

他人に手首を見られるのが嫌という感情は、こんな風に醸成されていった、気がする。

 

ただ冒頭で、そんな時代もあったね、と回顧しているところから分かるように、いつのまにかそれは過去の話になってて、いつ平気になったのかは判然としない。

 

いまでも、血が出る手首の映像は思い出そうとするとすぐ出てくる。

自分の肉体を自分が制御できない不思議も今でも感じている。

それでも大丈夫になったのは、それを「自分の弱み」として意識せずとも良くなった、てことなんだろうか。

そもそも他人、手首のことなんて気にしなくね? てことに気づき、さらに人にマジマジ手首を見られるシチュエーション自体、めぐり合うことがなかったことも大きいかも。

 

これは年齢が上がったことによる成長ではなく、変化というべき何かな気がする。少なくとも言祝ごうとは思わん。寂しいとも思わんが。

なんの話だこれ?

 

もしかしたらブログのどっかに書いたかも? と思い今検索をかけたところ、なかなかに恥ずかしい記事が出てきた。

 

生きてますか? - 寝楽起楽

 

やはしブログを書く際は、それが未来の黒歴史になるという覚悟が要りますなあ。ああー、過去の記事なんて掘り起こすんじゃなかった。

 

しかし、この記事を恥ずかしいと思うのは成長なんだろうか、変化なんだろうか?

やっぱし当時より、心のどっかが鈍感になっちゃったのかもしれない。そんで、それは少し寂しいことのような気もしている。