寝楽起楽

最近は頑張って読書感想ブログにしてます。

                ネタバレには配慮しない感想ブログです。

最近応援している人ら

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 声がかっこいい。

 

こんなロックは知らない 要らない 聴かない君が
上手に世間を渡っていくけど
聴こえているかい この世の全ては
大人になったら解るのかい

 

こんな曲は絶対聴いてないはずと感じている「君」に、聴こえているかいと呼びかけてるところが良くて、少なくともこの歌を知らない時点で「君」はこの世の全てを絶対に解ってないという。

 

知らないあの子が私の歌を口ずさむ 優しい朝

 

 と同時に、自分の歌はいつか絶対「君」に届くはずと信じていることも伝わってきて、その考え方自体が子供っぽいわけだけれども、それがまた良い。

 歌い方が大人っぽいっていうのもギャップあって好き。

 

 

 全然話題を変えると、最近『村上さんのところ コンプリート版』っていう、村上春樹さんがwebサイトで募集した質問メールに応えた全3716通を全部収録した単行本に直すと7冊分(!)の電子書籍をちびちびと読んでいる。

 

 村上さんを子供とみなす人は恐らく皆無だと思うんだけれども(もう69歳らしい)、質問の答え方は必要以上に質問者に肩入れすることは絶対にしない、まさに大人の距離をどんなものに対しても保っていて凄い。

 

 そのあり方を見ていると、「大人になるのも別に悪いもんじゃない」と自然に思えるというか、仮に村上さんがこの曲を聴いたら、そんなことをすっぱりと言いそうな気もする。

 

まあGLIM SPANKYの言う大人、世間の中に村上春樹が入ってるかどうかはかなりわからんのでわからんのだが。

とにかく、何十年後かにこの「大人になったら」のアンサーソングみたいなものを作ってくれたら面白いと思っている。

この二人は果たしてどんな大人になるのか、はたまたなっていないのか。気になる。

 

 

 

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 藤林里佳さんもとても将来に期待。

 

 「初期の」って自分で宣言してるし、中期後期晩期と多分続いてってくれるんだと思う。どうなってくのか。

 

 椎名林檎っぽいってコメントされてる方を見かけたけれども、村上春樹も「○○っぽい、とか言われてもそんなつもりないし正直当惑するだけ」って言ってたし、仮に林檎っぽさを感じたとしてもまだ初期だし、これからを応援してけばいいんじゃないか。

 

 ~~って村上春樹が言ってた、って無限に便利。でも本人に知られたら普通に怒られるだろうな。村上主義者を履き違えてる、とか言われそう。

 

 

 

 

 

 

 上の藤林李佳さんと、このゆきさんは講談社が主催してる「ミスiD」(アイデンティティ、ってことらしい)ていう女性アイドルコンテスト調べたらみつけた。

 

 残念ながらゆきさんのコンテスト動画はもう閲覧出来ない状態になっちゃってるんだけど、このゆきさんはホントにこれが素らしい。凄い。

ミスiDのページ、ゆきさんの文章も審査員のコメントも熱がこもってて良い。

 

 ミスターiDは開催されていないようで。

あってもあんまり面白い人は出てこないという判断だろうし、ある程度賛同はする。

試しにミスターiDで検索すると結構煮詰まってる人いたりしたけどなあ。

 

以上。

 

 

 

 

意外性の連続:『セーラー服と機関銃』 相米慎二監督 1981年

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80年代すげえ。

 

 

セーラー服と機関銃  ブルーレイ [Blu-ray]

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○あらすじ

 親を亡くし天涯孤独の身となった女子高生、星泉薬師丸ひろ子)が実は由緒あるやくざの血を引いていたことが判明、丁度頭目を失った組員に懇願され晴れてめだか組四代目組長に就任する

 

○感想

 ↑上のあらすじの内容ぐらいしか知らないで、「どたばたしながらも上手いこと女子高生もやくざも両立されてわーいっていうコメディ映画なんでしょ?」という気持ちで見たら全然違った。

 

 まずヤクザになったことで素行不良と見なされて女子高生は辞めさせられる。

この時点で「セーラー服と機関銃」というテーマから逸れてる気もするが、普段は普通に私服で活動しているのに、要所要所ではセーラー服を着てヤクザ稼業を行うのでそこは心配しなくても良い(何故辞めても制服を着るのか?ということについて一切の説明はない)。

 

 物語開始時点、めだか組は歴史ある古いヤクザであるがその権力は没落の一途を辿っており、構成員も4人しか居ない。

じゃあ薬師丸さんが組長になって立て直していく話か!と思いきや、その4人の部下たちは次々に死んでいくというまさかの展開。

一人目が見せしめに階段に放置されているのを発見しても、悲鳴を上げることもなくすぐに「仇は絶対討ってやる!」と決意する元JKのガンギマリっぷり。

ほぼなし崩し的に組長に就任しているためにメンタル的には普通の少女のはずで、組長としての覚悟を決めるようなシーンを挟んでの上記なら納得が出来るが、そんなとこは一切出てこない。

この辺から僕はこの映画を普通に楽しむことを辞めました。

 

 そっからも突然浚われたと思ったら「生と死の狭間に居るときこそ至高」と語り自発的に地雷踏んで自分の両足を吹っ飛ばした過去を持つ、女性の身体を解剖するのが趣味のお爺ちゃんが出てきたり、次は何を見せてくれるんだろう?という観客の期待を裏切らない話の進行。

凄く赤川次郎さんの原作を読みたい気分です。

インタビューとかを読む感じ、父の死の謎を追う軽めのミステリみたいな? 

 

    ただこういう脚本の穴の部分だけ見て本作を駄作とするのはもったいなくて、瑕疵を瑕疵と思わせないような魅力がある。

 一つには、非常に独特な相米監督の撮り方。

長回しとロングショット」を持ち味とされていた方のようで、今作でも部屋で話している二人をガラス越しに取ったり、屋上の会話を上から取ったり、ブリッジしてる薬師丸ひろ子を延々写したり、魚眼レンズを使って撮影したりと、アーティスティックなシーンも多い。

これが先述の脚本と変なシナジーを起こした結果、観客が果たしてどう受け取っていいのかわからないシーンが続出。

「分かりやすい演出なんてしてやらねえ!」ていう熱いメッセージを感じた。

 

 一番個人的に面白いと思うポイントは、この映画が「薬師丸ひろ子のアイドル映画」として当時受容され、興行収入をたたき出したというところ。

 

 今作の薬師丸さんの演技は(多分)結構下手目で、終始身体をぐにゃぐにゃさせてるような感じだけれど、それが却って「星泉」というよくわからないキャラクターを、薬師丸さんなりに頑張って解釈した結果なんだろうな、という、一生懸命真面目に無茶振りに応える子を微笑ましく眺めるような気持ちになれる。

(あるいはあの演技自体も、「自分をもてあます少女」として星泉を考えたときには、とても的を射たものである可能性もある)。

    前述の監督の美学のために、役者の顔はよく見えないのに、自然と場面の中の薬師丸さんを注視しているという、紛れもなくアイドル映画として成立する不思議な状態の完成。

 

 ちょっとカルトっぽいっていうところも良くて、例えば十字架に磔にされたりするシーンがあったりする。

そこに凄く当時のアイドルに対する幻想というか、聖性を見ていた時代の匂いを感じ取れたり。

 

 良くも悪くも自分は80年代を知らないので、あらすじだけ見ると「どうせどたばたコメディ」とか安易に思ってしまう。

でもこれは現代に生きている自分の視点だからであって、もしかしたら80年代の人びとにとってはこれが当たり前、という可能性もある。

しかしだとするとほんとに80年代やべえ。ぱない。この辺、詳しい人に教えて欲しい。

何でも今の基準で考えがちだけど、ちゃんと昔の文脈を追わないと昔のものは語れないということをひしひしと感じる一作でもあった。

 

 今作の続編として、『セーラー服と機関銃ー卒業ー』が2016年に橋本環奈主演で映画化されている。

 

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 トレーラー見る限りだとこれはどうみても「どたばた」で、1981年から今の時代の変化がすっごくよくわかって面白い。

 それともこの映画も、「どうせ」で決め付けないで一回見るべきか。見るべきなんだろうな。

 

 褒められたり貶されたり両論ありますが、個人的には面白い映画でした。

 

 以上。

 

(※書き終わった後、町山智浩さんが本作について語っているのを発見。動画では始めてみたけど、めっちゃ楽しそうにしゃべってて良い)

『少女終末旅行』観て読んだ感想

 

 

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 (原作1巻から)

 

いつもの如く凄いネタバレします。

後未読勢にはよくわからんかも。

 

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少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

 

 

 ○あらすじ

 チトとユーリが人類終わった後の都市を生き抜くために旅をする

 

○感想

 2ヶ月ぐらい前にHULUに登録しました。

 

 それで今頃ようやく『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』観てあの花やべええええええとなり『少女終末旅行』見てつくみずさんやべええええとなってるわけなんですが、あの花は劇場版まだ観てないんで、『少女終末旅行』の感想書きます。

あの花について書くかどうかは未定。

 

 で、『少女終末旅行』について。

 2017年秋にアニメをやり、今年の3月に原作漫画最終巻が発売され、とまだそんなに日数が経ってるわけではないので、どこかで見聞きしたのを覚えている方も多いのではないかと思います。

 『けものフレンズ』とかと併せて「心地よい破滅もの」みたいなジャンルであることが発見されて話題になったりもしてましたね。

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(↑でも『灰羽連盟』は「滅びた世界で豊かに生きる」話じゃない気がする)

 

 かわいいタッチの女の子二人が、明日生きていられるかも分からない世界の中でお互いを頼りにしつつ、都市の最上部に行けば何か希望があるかもと漠然と信じて頑張るというお話。

 読者にとって一番のページ捲る動機は「この二人の先にちゃんと未来があるのか」ってとこになると思います。

 ですが、途中たった二人だけ登場するチトとユーリ以外の人類、登場する地図を作ることを生きがいとしていたのに全て紛失してしまうカナザワ、飛行機作って都市を脱出することを目指すも空中分解してしまうイシイ同様、二人の旅路も「絶望と仲良くなる」がテーマになるわけで。

 

 チトとユーリはやっとこさ最上部に辿りつくも、そこには過去の誰かが残した黒い石があるだけ。生き残った人類達が集落を作っていて、暖かく二人を迎えいれてくれる…なんてご都合エンドは当然のように無く、二人は最後に残った食料を食べ、降りしきる雪の中、身を寄せ合って眠りにつく。

 そこから数ページ都市の描写が入った後、ラストで二人が寝た場所に雪がつもり、被っていたヘルメットと鞄が打ち捨てられている、という描写で終わります。

 

 二人の死体等が明確に描かれておらず、また黒い石がひょっとしてもしかすると古代文明の遺産でそれが起動したのかも、という少しの期待の余地を残してくれています。

そのために、

「あそこから二人は宇宙人とかに救われてハッピーエンドに終わったんだよ派」

「話のテンション的に雪が積もって凍死か餓死かしたでしょ派」

「どっちにしろチトとユーリはお互いが居ればそれでいいことになったからハッピーエンドだよ派」

 等々の派閥が生まれているようですが、私は後者二つに所属しています。

 

 だからハッピーエンドだったね、で自分の中で〆て終わりでよかったはずなんですが、どうにももやもやしたもんが残ってて、それが何かということをここ数日考えてました。

 

 そこを突き詰めて出てきたのは、結局チトとユーリの旅には一体何の意味があったのだろうか、という部分なんです。

 

 上で一瞬触れたカナザワは「地図を作る、残す」ことに固執している様子が見え、イシイも「人類の末端に刻む飛行」という言葉や、「誰かに見ていて欲しかった」という言葉から察せられるように、「何かを残す」ことに意識的でいることが伺えます。

そんなカナザワもイシイも、チトとユーリと別れた後どこかで人知れず亡くなったと思しき描写があり、チトたちが都市最後の人類であろうことが意識化されていきます。

つまり彼らのことを、なんらかの形で残していけるとすれば二人以外にいないわけです。

 

 しかし、カナザワからもらったカメラ(そこには文明崩壊前の写真も多数保存されており、とても長く稼動していたことがわかるのですが)は旅路の途中で失われます。

楽天的で今を生きているユーリとは対照的に、本好きで歴史好きなチトは日記を書いていたんですが、それも旅程終盤で焚き火の燃料として燃やされることになります。

 

 ↑このシーン好き

 

 そうしてお互い以外の何もかもを失っていきながら、最上部に託していた希望もついに消え、でも「生きるのは最高だったよね」「見て触って感じられることが世界の全て」と振り返るシーンは感動的ではあるのですが、同時に私はすげえ哀しくなりました。

 

 チトとユーリが、自分達で最上部に行くことを選択した結果の終末としてはあれ以上のものは無いだろうと確信しています。

ですが、最後の人類になってしまい誰もその後の歴史で触れてくれる生き物は居ないかもしれないけど、居てくれる可能性を信じて何らかの「記録」を残す、そんな描写が欲しかったと思います。

俺だって誰かは分からんけど誰かは読んでくれるだろうと思ってこの記事を書いているわけですが、それは別に未来の自分自身でもいいわけだけど、何かは伝わっていってくれるだろうみたいな期待をチトはずっと持って日記を書いてたはずなのに、最終的に「ユーリさえいればいい」になっちゃうのかぁ~~~~という寂しさ

作中に出てくる日記の文面を解読すると、「こんにちは。わたしはちと。」とか挨拶から始めてるものがあったりして、誰かに読まれる前提で書いてたことが伺えるみたいです)。

まああの状況で二人の関係性的にはそれは仕方ないし、重ね重ねあれ以上の終末はないと思うんですけど。

 

 というところまで書いて気づいたんですが、ユーリが美術館に残していった絵、あれを記録として観ることが可能かもしれませんね。

そういえばチトがふと「何かを残していくのはユーリみたいなやつなのかもな」と呟くシーンがありましたし。記録者としての視点で見るとどうしてもチトに着目しがちになってしまいますが、あの時にユーリがその存在になることが示唆されてるのかも。

 

 で、ユーリの話もしたいんですよ。

 どちらかというとチト目線で語られることの多い話だったので、ユーリの性格って掴みきれないこと多くないですか?

 2話目、どっちが多く食べるかで軽く揉めた時にじゃれあいの範疇とはいえチトに銃を向けるとこで「こいつ単なる馬鹿キャラではないのか?」という疑念が生じ、話が進んでくと「やっぱ馬鹿キャラなのか」で落ち着くんですけど、またそれをうっかり古代兵器のビームを発射させて大炎上する都市を見てげらげら笑う姿で「やっぱ単なる馬鹿キャラじゃない、の?」ってなって。

 

 「記憶なんて生きる邪魔だぜ」とか名言も多い、そんな「今を全力で生きる=子供的」である彼女が、二人の間では銃を持つ係=いざとなれば人を殺す役回りであるというのもなんとも。実際に殺した描写は本編中にはないんですけど、本編前は謎。

 

 原作者のつくみずさん的にも、恐らくユーリをどうするか、という点は悩ましいところだったと思うんですよね。その揺れを一番大きく感じるのは、色んな感想を観ると言及してらっしゃる方が居ますが、アニメのEDと原作の最終話の差異です。

 

 アニメのEDなら原作とはあんま関係ない、というのはこの作品に限っては当てはまらず、つくみずさん自らが申し出て一から十までEDつくみずさん一人で作られてるんですよね。

 しかもTwitter上で「アニメ放映前~放送中が丁度最終回を描いてたとこだった」と発言されており、また二人で雪合戦をするというシーンがどちらにもさしはさまれていることから考えると、アニメのEDと原作の最終話は大体同じ時期ぐらいにつくられたものだろうと推察できます。

 

 その二つの違いはどこにあるかっていうと、その雪合戦シーンで、ユーリが大きく口開けて笑ってるか笑ってないか。原作では、ここはユーリが胸の内を告白する場面になってます。

 

 また最終話前話に注目すると、突如ユーリが「死ぬのは怖い」と発言したり、暗闇が怖いと言ったり、握った手が震えていたり・・・と、突然弱さが凄く強調されてるんですよね。

 

 雪合戦のときにしたって、アニメのほうだと「後悔なんてしたってしかたねえぜ!」とか言いそうなんですけど、それじゃ駄目だとつくみずさんは思ったんでしょう。

その路線だとユーリが超然とした存在のようなままで、結局二人はお互いを理解しきれず孤独で終わる、とも読めてしまう。

だからユーリも普通の女の子であるように描ききった。

 

 「わかんないよ!どうすればよかったのかも どうしてこんな世界に二人っきりなのかも」って、チトも同じようなことを言いそうな台詞なんですけど、それをユーリが言ったというのがとても良いです。

 

 書いたらすっきりしました。つくみずさんの次回作がどんなテイストになるのか楽しみです。

 

 以上。

『万引き家族』 是枝裕和監督 2018年

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ネタバレしまくるんで、大丈夫な人だけどうぞ。

後観た直後なんでまわりくどかったりする部分あるかもですけど、それはまあいつものことですね。

 

 

 

 

 

 

○あらすじ

 色んな事情を抱えつつなんとなく寄り合って万引きなどもやりながら暮らしてた血のつながりのない5人がある日虐待受けてた5才の女の子を拾う

 

○感想

 是枝監督の『誰も知らない』は以前見てて、それも育児放棄されてる子供達のお話だったんだけど、あっちは最後までその共同体が崩壊しないってところが一番の肝で、めっちゃ薄ら寒い思いしたのを覚えてる。

 

 それと比較すると『万引き家族』は、ちゃんと(っていう言葉が適切なのかもわからんが)「家族」が白日の下に晒され、駄目になるっていう過程が入るのが一番大きな変化だと思った。

 

 

 その駄目になった時、それぞれが事情聴取を受けるシーン。

 あそこで始めて皆のそれぞれの「家族」への正直な思いが吐露されてって、ああそんなことを思ってたんか、とか、ちゃんと歪ながら彼らなりに家族としてやっていけてたじゃんか、とか観客は見て思うわけですが、それらは全部聴取してる警察官が正論で封殺するんですね。結構腹立ちませんか?あれ。

 

 でも考えてみると、というか考えずとも、あの6人の関係は一般的に変なんです。でもいつの間にかそれを変だと思わないようにさせられてて、それはなんでかっていったら、映画の中で「一般的な家族」が登場するシーンがほぼないからだと思うんですね。

 

 一回樹木希林が元夫の家にお邪魔してお線香あげる場面があって、あそこすっごく違和感覚えたんですけど、あれは樹木希林が珍しく外出してるから、ってわけではなく、ああいう普通の家族が登場することが、映画内の中では不自然だったからなんですね。

 

 「警察が発する正論」という世の中一般の倫理が映画後半で前触れなく登場して、それによってあっという間にバラバラになるのは悲しいなあと思いつつも、どうしようもないという感じもあり。そのどうしようもなさは結局のところ、彼らの形態が普通じゃないよね、てところに改めて気づいちゃうから。

 

 あんだけ丁寧に彼ら6人の描写、絆が深まってく様子とかを見てんのに、それでも「どうしようもない」とか思っちゃうぐらい、「普通の家族観」てのが自分の中に浸透してんだなあ、て帰りの電車CMで、ハンバーグ作ってる家族みながら思いました。

 

 

 是枝監督がパルムドール受賞した、その会見がニコニコで中継されてるのをたまたま観てました。そこで話題になってた、皆で上空の花火を探すのを俯瞰で撮るシーン。あれは確かに良い絵でした。

 言葉以上に、雰囲気とか身振りとかで魅せるのが是枝さんは異常に上手いと個人的に思います。

 『万引き家族』は『誰も』と比べちゃうとちょっと言葉に頼りすぎじゃねーかというきらいもややあったんですけど、それでも最初のシーンの、ごみごみした家でよう分からん関係性の人達が何故か共同生活してる様子とか、「ちょっと見ててみ」っていってラムネ飲んだあと大きなげっぷするとことか、是枝さんのこういうのが観たかった!を満たしてくれて良かったです。

 

 

 こっからは読んでくれなくて大丈夫なんですが、「テレビ上映されるまで待つわ」って言ってる人一定数居て、確かにおっきいスクリーンで観るよりも、家のテレビで生活感に囲まれながらのほうが、却って面白いかもという感じはあります。

 

 あるんですけど、個人的にスクリーンで観た方が絶対良いと思う部分がいくつかあって、上に挙げた花火とか、俯瞰のシーンの部分は勿論、松岡茉優がイメクラ(?)で働くシーンが凄くて、あの店の形式めちゃめちゃエロくないですか?

 

 「完全匿名で性欲だけ発散させたい」みたいな、都合の良さ100%かよと。詳しい人に聞きたいですけど、ああいう店って実在するんですか?

 もし是枝監督オリジナルだったとすると中々に変態ですよね。

 実在してたら多分わりと自分ハマるタイプなんで、気をつけようと思います。まあでも松岡さんだったからこその可能性は高いですけど。

 

 大体言いたいことは書いたので、終わります。

 

 以上。