『ゲゲゲの鬼太郎』を描く前までを中心にした水木しげるの自伝本。のべつくまなしに語られるエピソードの一つ一つがやたらと濃ゆい↓
学校に馴染めず日がなベンケイガニを眺めて過ごし、入学してみた美術学院は退屈で自分から辞め、誰でも入れるといわれた園芸学校には入試で落とされ、新聞配達と学生生活を平行しているうちに赤紙が届き、最前線に送られて片腕を無くし、いっぽうで村民と仲良くなった結果あわや現地の住民の一人となりそうになり、終戦後には魚屋をやりアパート屋をやりかたわらに漫画を持ち込み……などなど。
「俺はこんだけ苦労をしてたんだ」という風でもなく、ニヤニヤと口笛でも吹きながら書いてんじゃねーかな、と思わせる調子なのもよい(実際、特に腕なくすとこなんか苦労なんてもんじゃないと思うのだが)。月並みだけれども、一言でまとめると「生命力が違うなー」とわからされた感じ。
見方を変えれば、水木しげるは学校生活にも一般的な労働にも一切なじめないドロップアウト勢だったわけだが、そのことについていっさい思い悩むそぶりを見せないのがこの本の核心であり、水木しげるの際立ったところと思う。社会の流れに頼らずに自分で立つ姿勢は、幼少期から人よりもむしろ自然と触れ合うことを好み、また自然に近いところで暮らす(暮らしているように見える)ラバウルの人々の暮らしを理想と見た結果、養成されたものであるらしい。
同じくドロップアウト勢に勇気を与える本でもあると思うのだが、「なんだって好きにやりゃあいいよ」という、やさしい言葉をかけるだけでは終わらないのもいいところ。
虫の中にもいろいろな種類があるように、われわれ人間にも、いろいろな種類があるのだ。トンボにかなきりになれとか、南京虫にミミズになれと、いわれても困る。
(…)自分の好きなことをやるにしても、やはり、なまけていてはダメで、やるからには、なんでも、ねばり強く、努力することが必要である。
自然界では、どんな虫でもケダモノでも、自分でエサを探して食べるのだ。
(あとがきより。傍点の代わりに太字としました)
つまるところ水木しげるがどうやって「エサ」を探してきたか、という記録がこの本であり、その能力については、私はどうやっても足元に及ばんなぁ……と思ったしだい。
(以下蛇足)
ひっさびさに読書感想書いたけど、
・タイトルに1行コピー入れるのをやめる(思いついたら後で更新しておく)
・冒頭に本からの引用を書くのをやめる(打つ&引用の後に1行感想書くのが地味にめんどい)
とすればわりと思ったことそのまま書いてくだけで公開してけそうかも? 自分の今後に期待。
ではまた。