板東早矢香でスガ私ガ見エマスカ?食堂でハ、アりガとうございマした。
「ま」「は」の下の方とか「す」の中ほどのくるんとなったところ、「え」や「あ」のぐねぐね感が苦手だったんだろう、と私は思った。
鏡を見ながら、眉描きペンシルで自分の顔に字を描くためには。
「いやいやもういいだろう」あたしは、もはや何も考えることができず、バッグを探って、駅前でもらって入れっぱなしになっていた試供品のメイク落としシートを、板東さんに押し付ける。「もういいよ、そりゃ見えるよ」
秋吉君は、何も言わずに、口を開けたまま佇んでいるだけだった。坂東さんは、ひどく苦々しい顔をして、シートで顔を拭く。なんなんだ、この努力は、ときっと思っている。
(『浮遊霊ブラジル』の「個性」 p148より)
このシーン、映像で見たい。
○あらすじ
婚礼、葬礼、その他より、
・良い人に送られる、たくさんの苦労とほんのちょっぴりの幸福:「婚礼、葬礼、その他」
・淀みの循環:「冷たい十字架」
以上2編。
浮遊霊ブラジルより、
・孤独の充足:「給水塔とカメ」
・日常におけるちょっとした爆発:「うどん屋のジェンダー、またはコルネさん」
・運命:「アイトール・ベラスコの新しい妻」
・つまりは現世も:「地獄」
・精子の魂来世まで:「運命」
・埋もれないために:「個性」
・縁を結ぶ:「浮遊霊ブラジル」
以上7編。
○考察・感想
以前に「とにかくうちに帰ります」も読んでブログに書いた。3作品も読めばしたり顔であの作家はこうだよな、なんて批評してもまあ文句は言われないだろうと思うので言うと、津村さんは「私の人生なんでやねん」がずっと問題意識にある人で、それが如実に作品にも表れてる方と感じる。
そういう人は多分わんさかいるけれども、それを小説書いちゃうぐらい考えてる人は稀で、しかも書いても書いても分からんもんだから仕事やめて専業になっちゃう、そんなんはさらに希少・そして津村さんはまさにそういう人である。
その「私の人生」の事象を具体的に書いたのが「婚礼、葬礼、その他」とか「うどん屋のジェンダー」とか「とにかくうちに帰ります」とか。理由を説明しようとしたのが「冷たい十字架」とか「地獄」とか「運命」とか。
こういう人の文章を読んで何となく癒された気分になるというのはとても理解できるし、だから順当に人気も出ると思う。僕は冒頭に挙げた「個性」が一押しです。
後ほかに、このエッセイも読みました↓。
これはまだ仕事をやめる前のエッセイで、だから(本人は意識してないけど)売れなくなっても仕事があるというお気楽さが前提で書かれてる気がした。だから内容もすげーどうでも良い。そのどうでもよさがよい、という人以外はまず受け付けない。
タイトルどおりにダラダラと読んでびっくりしたのは、文庫版あとがきで意外と真面目な調子で来られたことと、解説の最後に「どうでもいい話が出来る心強さを、少しでも多くの女子に実感して欲しい」と書いてあったこと。
前者はそういう一面もあるんだという驚き、後者は男子も読んでるんですけど、私はどうしたら良いんでしょうか、という困惑。自分宛だと思って読んでた手紙がまるで別人のものだと知ったみたいな行き場の無さを一瞬感じて困った。
ふゆうれい、で一発変換すると冬憂いって出てきちゃって毎回直す羽目になった。
最近は一気に冷えこんで、冬憂いから冬に入りこんでますね。
季節の変わり目は体調を崩しやすいという話もあるし。皆さんもお気をつけください。
あーさむ。
以上。