まったく、いやになるくらい、ありふれた名前だ。メアリ・スミスだなんて。ほんとにがっかり、とメアリは思った。なんの取り得もなくて、十歳で、ひとりぼっちで、どんより曇った秋の日に寝室の窓から外を眺めたりして、そのうえ名前はメアリ・スミスだなんて。
家族中で、なんの取り得もないのは、メアリだけだ。お姉さんのジェニーの髪はながくてきれいで、本物の金みたいな色だし、お兄さんのじぇれミーはハンサムだって、みんながいう。どちらも頭がよくて、どう見てもずっとかわいい。
(本著p7)
映画もみたのでその話もおりまぜます。
○あらすじ
猫に誘われ不思議な花を潰したら魔法が使えるようになり、空を飛んだら魔法の大学を発見してわーい
○考察・感想
上質なおとぎ話。心地よくすっと読めて楽しかった。
最後メアリが完全に冒険の内容忘れちゃうあたりのがやや淋しい。『不思議の国のアリス』は夢オチだけど、アリスはちゃんと夢のことを覚えてるし、お姉さんもそれ聞いて不思議の国を幻視してる。彼女らとメアリの違いはなんだろ?
背の高い雑草が、足もとでさらさらと音を立てたのは、白兎が大急ぎで通っていったのでした――おびえたネズミが、近くの水たまりの中を、水をはねとばして進んで行きましたーー三月兎とその友達が、終わることのない食事をともにしているときの、茶碗のかちゃかちゃ鳴る音が聞こえました。女王が、不運な客を死刑にしろと命ずる甲高い声が聞こえました。
(中略)
最後に、お姉さんは、このおなじ小さな妹が、やがていつの日にか、一人前の女になったころを想像してみました。アリスは、だんだん成熟していくでしょうが、それでも少女時代の素朴で優しい心を失わず、ほかの小さな子供たちを回りに集めては、いろいろな不思議な話をしてーーおそらくははるか昔の不思議の国の夢の話もしてやって、子ども達の目を輝かせるだろう。
(『不思議の国のアリス』より
でも、冬になって、すべての木が葉を落とすと、カバノキは風の吹きすさぶ高い空を背にして、干しブドウを思わせる濃いむらさき色の枝ばかりになり、風邪がそのあいだを吹き抜けて、何かが飛んでいるような音が聞こえてくる。たくさんの小枝が、走るシカのひづめのようにな鳴り、その上の冬空では、鳥たちがするどい声をあげながら宙返りする。
けれど、学校の寮に入ったメアリは冬にその林へいくことはめったになく、その音を聞くこともない。
それに、たとえ聞いたとしても、なんの音だか、もうおぼえてないだろう。
(本著p186-187)
以前読んだ『オズの魔法使い』の訳者あとがきで柴田元幸さんが、赤毛のアンとの対比で読むとまた面白い、という話を書いていた。
それを踏まえ、今作もその視点で読んで見ると、アンはあふれ出る妄想力によって日常をファンタジーに変えるが、メアリはファンタジーが向こうからやってくる、という違いがあるかなと。
また『オズ』のドロシーは結構ニヒルというか、ほっといてもずんずん進んでくようなところがある。対してメアリは率先してお手伝いしようとしたり(失敗するけど)、なんか全体的に素直なイメージ。3人並んでたら見てておもろいのはドロシー、おもろいけどうるさいのはアン、癒しがメアリかな。
映画の話。友情・努力・勝利、みたいな片鱗はあるものの、原作の主題があくまでおとぎなので、どうなるかと思ったがやっぱりそこは大分いじってきてたように思う。
むしろその部分も変えずにただジブリの世界観のまんまやってくれたほうが爽快な作品にしあがったんではないかという気がするけど、ジブリは改変が十八番だから仕方ないっちゃ仕方ない。
多分意図的に、魔法サイドが過剰に悪趣味な形で描かれてるのが一番なんだかなあと思った。自分が凄く承認される場所、という部分だけで懐柔されるんじゃなく、魔法そのものに魅了される描写があったほうが好き。まあ完全に個人の趣味だし、原作にもそんな箇所一ミリもないが。でも最終的に「魔法なんていらない!」て結論に向かうのであれば、そういうシーンはある程度必要なんではなかろうか。総じて、次回作に期待、という出来。
今回は以上です。