エンラッドでは誰もがアレンの父に一目置いており、アレンはその父の息子であった。人々は彼をエンラッドの王アレンと見、支配者の息子アレンと見て、これまで誰一ひとり、アレンをアレンとのみ見てくれる人間はいなかった。彼は自分が今、大賢人の目を畏れているのだとは思いたくなかった。が、まともに大賢人の目を見ることはどうしてもできなかった。その目を見ていると、自分のまわりで世界はぐんぐん大きくなり、エンラッドなどたいしたものではないと思われてくるばかりか、自分自身も取るに足らない存在に思われてくる。大剣人の目から見たら、自分は、暗雲たれこめる海原に転々と島が浮かぶ、そんな広漠たる風景のほんの小さな人影にしか過ぎないのだ。
(本著p20より)
ゲドが爺さんになっててびっくらこいた。
- 作者: アーシュラ・K.ル=グウィン,ゲイル・ギャラティ,Ursula K. Le Guin,清水真砂子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/02/17
- メディア: 単行本
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○あらすじ
魔法の効力が段々と失われてきて解決のためにゲドが伝説の王の末裔の少年アレン君と旅を始めて闇の王と対決して何もかも解決してわーい。
○考察•感想
『影との戦い』はゲド自身が己から生じた闇から逃げ、そして受け入れるという話。
『こわれた腕環』は闇の国に囚われていた少女をゲドが救い出す(という言葉が適切かはわからんが)話。
そしてこの『さいはての島へ』は、世界が闇に飲まれつつある中で、恐怖を克服しているがゆえに正気でいられるゲドが、その危機に立ち向かうというもの。
おもしれーなーと思うのは、この旅にはアレンが必要なのを、ゲドが確信していること。
ゲドは闇に魅入られない。がゆえに、闇の王の所在を一人で探し当てることは絶対にできない。
それが成し得たのは、アレンという不安定な存在があってこそなんですね。
成長しちゃったからこそやれないことがある、ていうのが入っているのは、ファンタジーの中では珍しいんじゃないかな?
いわゆるゲド旧三部作を読み終わった感想としては、テーマとしては『影との戦い』、世界観は『こわれた腕環』、物語としては『さいはての島へ』が一番好きですね。多分一番今回のが、普通の王道ファンタジーっぽく読めるんではないかと思います。
○印象に残ったシーン
「レバンネン。」彼はもう一度その名をくり返した。「レバンネン。そう、そなたはレバンネンだ。よいか、この世に安全などというものはないし、完全な終わりというものもない・ことばを聞くには静寂がいる。星を見るには闇がいる。踊りというものはいつもがらんどうの穴の上で、底知れぬ恐ろしい割れ目の上で踊られるものさ」
アレンは両手でハイタカの手を固く握りしめると、深々と頭を下げ、額を彼の手に押し付けた。
「私はあなたの期待を裏切りました。」彼は言った。「また同じことをするでしょう、あなたに対しても、自分自身に対しても、わたしには十分な力がないのです!」
「いや、そなたはちゃんとした力を持っておる。」魔法使いの声は優しかった。
(本著p228)
道に迷う若者と、それを導く老人、良い。