この島から最初に消え去ったものは何だったのだろうと、時々わたしは考える。
「あなたが生まれるずっと昔、ここにはもっといろいろなものがあふれていたのよ。透き通ったものや、いい匂いのすうものや、ひらひらしたものや、つやつやしたもの……。とにかく、あなたがおもいつかないような、素敵なものたちよ」
子供の頃、そんな物語を母はよく話して聞かせてくれた。
「でも悲しいことにこの島の人たちは、そういう素敵なものをいつまでも長く、心の中にとどめておくことができないの。島に住んでいる限り、心の中のものを順番に一つずつ、なくしていかなければならないの。たぶんもうすぐ、あなたにとっての最初の何かをなくす時が、やってくるはずよ」
(本著p7より)
つらくなってしまうので再読出来ない系の本。
○あらすじ
小説家のわたしと元フェリーの整備士のおじいさんと編集者のR氏の密やかに記憶が消えていく島での密やかな共同生活。
○感想・考察
大切だったはずのものが確かに目の前にあるのに、ある日を境に本人にとってなんでもなくなってしまう、という設定がめちゃくちゃ怖いと思った。
何かを失う代わりに何かを得て一歩進む、ていうのが物語の王道パターンとして存在する中で、これは手放すオンリーの話だ。
鳥が消え、バラが消え、商売道具である小説が消え、わたしはどんどんわたしを消していき、しかも自分ではそれを当たり前のことだと思っている。
いわゆる普通の人、記憶をなくさない人たちっていうのも登場するんだけど、彼等は秘密警察に追われる対象。島の中では、失うことのほうが当然。
普通の人たちはそれを悲しみ、物語上の代表であるR氏なんかはわたしに、失った後も小説を書き続けるように言う。
けど、わたしにはそれは何か意味のあることだとは思えない。
わたしは諦めている。喪失を受け入れている。物語全体をずーっと伏流しているこの感じがほんとにつらく物悲しい。ただこれは、小川洋子さんの描く作品の全てに共通しているテーマのような気もする。
あとこれって、数年更新が途絶えてるブログを見つけちゃった時とか、ある日を境に全く呟かなくなったフォロワーとかと似てる気がする。どこでなにしてんだろ、と思うしかできない、哀しみだけがある感じ。
もし亡くなっちゃってたとしても、ネットで繋がってるだけだったらこっちがそれを知ることはほぼない。これも悼めない消失だけど、「消失してるのにそもそも気づけない」のと、「気づいてもなにも思えない」のと、残酷なのはどちらだろうか。
受身なわたしが、こっちがはっとするほど自分から動く物事は、R氏に関する諸々だ。秘密警察による処罰の対象になってしまうと知りながら、わたしは自らR氏を匿う決断をする。
遠い、どころか完全に無の存在としてしか小説を見れなくなってしまったあとでも、それを書きつづけるのはひとえにR氏に言われたからで、終盤では彼に残すものが出来た、とわずかに安堵する様子も見られる。
何もかもを手放していくわたしも、それをしないR氏たちの大事さはよく分かってんだよな。でも彼女は決してR氏の方にいけることはない。
あとがきにあるような、抵抗の物語として本著を読み解いても、やっぱりめちゃめちゃ哀しい話。
じわじわ消えてくってのが残酷だよな。
人が死んでいくのを長い時間かけてずっと見せられてる気分になる。
死ぬ時は一気に死にたいよねえ。
極大のビームに照射されて、真っ白な背景にシルエットと「ぎゃあ〜っっっ」って声が走って一瞬で消え去る、みたいなのが個人的な理想。完全悪役だな。
○印象に残ったシーン
炎は巨大な生き物のように、街灯よりも電信柱よりも高く、上へ上へとうねっていた。風が吹くと灰になったページの切れ端が一斉に舞い上がり、宙をただよった。あたりの雪はすっかり溶け、歩くたびに靴がぬかるみに取られた。オレンジ色の光が、滑り台やシーソーやベンチや公衆トイレの壁を照らしていた。炎の勢いに撒き散らされたかのように、月も星も見えなかった。ただ消滅してゆく小説の亡骸だけが、空を焦がしていた。
(本著p261より)
めっちゃ綺麗なんだろうなぁ。悲しいなぁ。
この辺のとこ木灰見て気づいたけど、わたし、帽子とか鳥とかなくなったはずのものをほんの一瞬だけ思い出してるんですね。
ここでもっと頑張ってればなー、あんなラストにはなー、でもあのラストあってこそのこのお話なんだよなあ。
以上。