「歴史そのものは好きだけど、読んでも読んでもかたっぱしから忘れる問題」について最近考えていた。「読んでる間おもしろいならそれでいいじゃん」という考え方もあるのだけれど(実際これまではそう処理してきたわけだけれど)、やっぱし読むからにはちゃんと自分の中に蓄積してった方がよりおもろいのではなかろうか。
……という興味関心から、「歴史学における歴史への向き合い方」について、ネットで見られる範囲で寝しなに文章をちょっと読んだところおもしろかったので、それらを引きながら「私が考える、あくまで私のための歴史への向かい方」をまとめる(わざわざ太字にしたのは、これが歴史学のそれとは異なるものであることをわかってほしいからです)。
また、ここから書く「歴史学における歴史への向き合い方」については、歴史の専門家でもないトーシロが雑に(歴史学的な手法を守らずに)つなぎ合わせているものであることにも留意してもらいたい。
■歴史は解釈か、事実か
歴史については、一般には「結局歴史って事実なのか、解釈なのか」という点が議題にのぼることが多い。ただ、これは歴史学者の中では「歴史とは解釈である」という風に、見解はおおむね統一されているっぽい。
ただし、その「解釈」は、学問的な手法に基づいてさまざまな資料を検証した結果生まれてくるものであって、まったくの荒唐無稽、というわけではない。がゆえに、「大多数/あるいはその年代の解釈において、認識が共通している部分」が、そのときどきの共通見解になっていく、というような感じだと思う。
という土台のうえで、歴史学者さんがあれこれ言っているのを見るとおもしろくて、西洋史学の学者さんなんかは、
「そもそも西洋史、東洋史、という区分自体が日本固有の区分であること」
をまず日本の西洋史学的な常識として挙げていて、確かにねとなる。
また別の観点で、川北稔氏は、中高の教育における詰め込み暗記型の授業を嘆き、「現代社会のよってきたる根拠としてのゆえん」を説明することこそが、世界史教育の神髄だと述べていた。
ここで、冒頭で私が述べた「歴史が覚えられない」という悩みはまさに「詰め込み暗記ができない」という悩みに言い換えることもできる。という意味で、川北稔の文章は身に突き刺さることも多かった。なんと私は大学で歴史系の学部に居たくせして、中高的な「歴史」から全然脱却できてないわけだなぁ。
てことで、私が向き合うべきは「歴史」ではなく「歴史観」なんだろーなー、というのが、今回得た大きな気づきの一つである。
ただ学者さんたちの問題意識は、当然「学問として(日本の)歴史学をどう位置付けるか」という問題と密接に関連する。そのため私という「この先学問として歴史学をやっていく予定は一切ない奴」にとっては、直接の参考にならない話も多々あった。
どんだけ偏った歴史認識を持ってようが、個人で留めておけるなら無害だ。もし学問をやりたいなら、普遍的な何かを目指さなければいけないプレッシャーが存在するけれども、一個人である私はそこはどうでもいいものとして捨て置くことは可能である。
なんで結論としては、あくまで自分の趣味として、自分の歴史観を今後作っていくことを目指す、てことになると思われる。
「自分の歴史観を作る」とはいっても、自分で一次資料を漁る気力は正直ない。ただ気力がないとはいえども「これこそが真実だ(これだけを信じとけば大丈夫)」という論調で提出される、一部の「歴史観」には私は乗っかれない(「歴史の真実」という言葉は、私の好きな歴史学からは出てきにくいものだと思う)。しかし、何にも依拠せずに私の中だけで検証のない妄想をして、それを「私の歴史観」として保持するのは抵抗がある。
てことで、結局やることはなんも変わらず、きちんと検証がされている(ように私には見なせる)歴史の本を読んで「へー」て言うだけだろう。
けど、まあ、意識が変わっただけでもなんか変わるだろ。知らんけど。今後はそんな感じでやっていきたい。
■■以下は今回書くにあたって読んだもの(西洋史学ばっかっすね)
■「日本の西洋史学」は特殊か 佐藤公美 西洋史学、2015年、260巻
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shsww/260/0/260_56/_article/-char/ja
→12年のイタリア滞在の中で見聞きした、イタリアにおける歴史学と日本の西洋史学との比較をしつつ、現場の歴史学と、共同の未来に向かうグローバルな歴史学、のヒントを論じている。おもろい。
■リアルなものを求めてー「日本西洋史学」の道 川北稔 パブリック・ヒストリー、2007年、4巻、p3-12
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/66443/
→上で引いたやつ。引いた以外のところも、歴史観を欠如した研究に対して怒っていたりしておもしろい。
■(ひょっとしてネットで読めちゃいけない論文なのでは?と思ったので元を張るのは控えたもの)
→「歴史学=現代社会の根拠を探り、またそれによって未来を予測する学問」といった見方をすると、「じゃあ、古代史の研究は近現代史の研究よりも優先順位低くね?」という疑問が私は湧く。それに対して、古代ギリシャ史の研究者である藤縄謙三氏の言葉を引き、「歴史とはピラミッドのようなものであって、古代史とは現代にいたるまでの礎石なのである」という言葉を紹介していて、なるほどねとなった。
■■読んでないけど面白いんだろうなと思った本
あと、日本史学でも同じような本があったら読んでみたい。
以上