スコップと丸めたビニル袋を手に持って、あみ子は勝手口の戸を開けた。ここ何日かは深夜に雨が降ることが多かった。雨が降った翌日は、足の裏を地面から引きはがすようにしてあるかなければならないほどぬかるみがひどかった表の庭に通じる道も、昨日丸一日の快晴のおかげで今朝は突っかけたサンダルがなんの抵抗も受けずに前へと進む。サンダルの縁にへばりついた泥が灰色に固まっているのが目にとまり、すみれを採ったらついでに外の水道でこのサンダルを洗うことにした。
(本著p9)
この出だしからあんな風になるとは。
○あらすじ
なにがなんでもなにが起きてもめっちゃ好き 「こちらあみ子」
七瀬さんの、芸能人の、恋人「ピクニック」
おばあちゃんがたった 「チズさん」
以上3編所収。
○考察・感想
体調悪いときに読んだら多分そのまま吐くと思う。
そんぐらい力のある衝撃的な作品だった。今年読んだ本ベスト3に内定すると予言。
別にいわゆるグロ・ホラーとかそのへんを狙ってるわけじゃなく、ただあみ子が生きてるだけなんだけどホントに途中から息が詰まって詰まってしんどかった。なのに読まされてしまうあたり筆力が高すぎる。
こっからちょこちょこねたばれするけど、ほんとにまじでおすすめなんで未読の人は出来れば本屋に直行しておくれ。
「泣いとったじゃろう」
「うん。でもあれってほんまにいきなりなんよ。あみ子なんにもしてないよ」
「あみ子」
「なに」
「あみ子」
「なんなん」
すでに日が暮れていた。兄は腹が痛むのをこらえているような顔をして、口を開きかけてはまた閉じて、結局それ以上はなにも言わずに背を向けた。
(本著p58-59)
この場面で兄に共感しない読者は果たして居るのだろうか。こっちこそ「なんなん」と言いたいのに、あみ子はまるでこちらに理解を示さない。ここの事件を皮切りにして雰囲気はがらりと変わるが、あみ子自身は前半とまるで同じで、それがまた怖いというかなんというか。でも彼女からするとただ普通にしてるだけなんだよなぁ。
解説の穂村弘さんが書いてるように(彼と町田康が解説してるという時点で普通の小説ではないよね)、「ありえないありえない」いうてるうちにいつの間にか、その絶対的な断絶さにこちらは憧れさえ抱くようになってしまう。正しい、とか正しくない、とかを飛び越えていかれる、その恐怖。多分どこからあみ子に感情移入しはじめるかであみ子レベルを診断できると思う。 自分、今でこそそれなりに育ったものの昔はマジで宇宙人だったと常々親から言われて過ごしてるんだが、これ読んでたらそいつが身じろぎするのを感じた。
個人的にお気に入りはカメラをぶん投げるシーン。ずぅっとにこにこしてるようなこの子にもちゃんとそういう感情あるんだな、そりゃそうだな、と思って。あとあみ子の隣の席の子も好き。
「ピクニック」は割合淡々と読んじゃったんだけど、「ルミ」ではなく常に「ルミたち」という群体が、「七瀬さん」を観察している、という書評を読んで後からうげぇーってなった。異物をあざ笑い、排除し、取り込もうとする集団意識の話ってことなんですかね。
「チズさん」は一番謎。この話は果たしてなんなんだ。わからん。
以上。