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自立した個のなせる技:『他者の靴を履く アナ―キック・エンパシーのすすめ』 ブレイディみかこ 文藝春秋

 わたしの息子が英国のブライトン&ホーヴ市にある公立中学校に通い始めた頃のことだ。

 英国の中学校には「シティズンシップ教育」というカリキュラムがある。息子の学校では「ライフ・スキルズ」という授業の中にそれが組み込まれていて、議会政治についての基本的なことや自由の概念、法の本質、司法制度、市民活動などを学ぶのだが、その科目のテストで「エンパシーとは何か」という問題が出たという。

 息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたらしい。「To put yourself in someone`s shoues(誰かの靴を履いてみること」は英語の定型表現である。
(本書p13)

 

日本に同様の意味の表現って何かありますかね。

 

 

 

■内容

「シンパシー」ではなく、他者を推し量る技能として身に付けるべきとされる「エンパシー」の概念や議論を説明し、さらにそれを筆者のアナキズムの思想と合わせ、「アナ―キック・エンパシー」として拡張する

 

■感想

 

「たやすく人のストーリーに共感してしまう人々」を見て、危ういな、と思うときがあります。

 

具体的な政策は何も知らないままに、「頑張ってるから」ていう理由だけで投票する、といった方々なんかは、共感(シンパシー)だけで動いている典型かもしれません。うまくいってる間は別にそれはそれで構わないと思うんですが、賢い輩が利用してやろうと画策したら、割合かんたんに取返しのつかないところまでいっちゃうと思うんですよね。

 

でも、「共感」「思いやり」ができることは、同時に美徳でもあると思います。少なくとも「悪」といってしまうのはあまりにも短絡がすぎる。じゃあどうすればいいか……というところで、「アナ―キック・エンパシー」は、そこに一つの解を与えているように思えました。

 

私の理解するところでは、「アナ―キック・エンパシー」とは、「自立した個(アナ―キックな個)」が前提としてあったうえで、他者の気持ちを推し量る能力です。

 

これが、ただのシンパシー、あるいは間違ったエンパシーの使い方をしてしまうと、「自立した個」のないままの共感になってしまう。これは、「他者」を自分としてそのまま内面化してしまうことを意味します。

これを悪用すれば「100人に自分の靴を履かせる」――「企業のトップが、身勝手な理想を従業員に押し付け、意のままに働かせる」といったことが可能になってしまいます。

 

こういった問題が起きないためにも、「エンパシー」は「トップダウン」ではなく「ボトムアップ」で、アナ―キックになしていくべき……そんな主張と理解しました。

 

「アナーキック」という言葉は、先に書いた通りアナキズムから来ています。

本書を読むまで、無政府主義に対する私の理解は、「要するに無秩序にしたいんでしょ」的な雑なものでしかありませんでした。

ただ、実際には「上からの権力から脱し、個として生きるにはどうするべきか」みたいな捉え方をすると、すごく学びが多い思想分野みたいで、アナキズムへの興味も持ちました。

 

ただ、「アナ―キック・エンパシー」という技能は、身に付けるのは大変に難しそうです。

著者のブレイディみかこさんや、中で登場する金子文子さんのような知性は、そうそう真似できるもんでもないでしょう。どうすればなれるのか、も一部触れられていますが、相当に困難な道そうで、ちと私としては尻込みする感じもありました。

とはいえ、なんかしらやってかねばならんな、と思わせてくれる本でした。おすすめです。

 

 

では。