寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

6次の隔たりゲーム

知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの知り合い、までいけば世界中の人と繋がることが出来る、という例の奴を6次の隔たり、と言うらしい。なんかかっこいい。

 

しかし世界中の人、といわれても実感は全く湧かない。この言葉、結構巷で見る気がするけれども、その度に僕の頭に浮かぶのはブラジルあたりでサンバを踊り狂っている黒人女性で、そんな人と繋がってるよ!と言われても困惑しかない。

 

しかしこれが例えば、今同じ電車に乗っている、貧乏ゆすりの激しいおっさんと繋がってるよ!と言われると俄然真実味が増す。困惑するのは変わらないけれども。

言い方を変えると印象が変わる、これは好例になる気がする。

 

そんな訳で(?)、6次の隔たりゲームというものを思いついた。やり方は単純で、同じ空間にいる知らない人を、あの人は3次の知り合い、あの人は5次、というように分類分けしていくという遊びである。

 

その際、できるだけ具体的に、同じ大学の友達の姉の仕事場の人、とか想像するとなお良い。どういう基準で良いのかは知らない。

 

このゲームを繰り返すことで、自分がどういうタイプの人に親近感があり、どんな人に嫌悪感があるのかが分かるようになる。

課題があるとすれば面白そうじゃないことで、スマホの電源が切れて他になんもなくどうしようもない時とかにやってみたい。

 

後これは完全に余談だけれども、さっき知らない人を打ち間違えた結果、知らないにと、という謎の予測変換がiPhoneに表示されるようになってしまい、語尾に「にと」をつける謎のゆるキャラが脳内に生まれた。

『ゆれる』 2006年 監督:西川美和

『ゆれる』予告編 - YouTube

 

 

ゆれる

ゆれる

 

 

 

地方に残り、家業を継いで働いている兄と、地方から飛び出し、東京でカメラマンとして働いている弟。母が亡くなったことを契機に帰ってきた弟だが、そこで事件が起こり・・・という話。
詳細は予告編を参照されたし。

すげー面白かったが、すげー読解力が必要な映画だった。
正直僕は兄の心理がほんとに全く解らず、見終わったあといくら考えても納得出来ずに、「大阪の一般人の男と女が大阪市ワンルームでだぁーっとしゃべったりゲラゲラ笑たりしてたらなんだかんだむっちゃええ感じになるんちゃうか?そんな感じでやってまうん。PODCAST」、略して「大大だゲなじ感(だいだいだげなじかん)」の完全ネタバレ回を聞いてやっと腑に落ちた。上のpodcastも凄く面白いのでおすすめ。


僕にはリアル兄がいるのだが、この映画の兄の心理が解らない=うちの兄の心理もまたぜんぜん解ってないということになる。この映画と同じように、兄はきっといろんなことにきっと耐えている。
そして僕はおそらく無自覚のうちに、兄からいろいろなものを奪っているんだと思う。
家がたまたま自由にさせてくれているがために、その度合いも低いだろうけど、この映画みたいな閉塞的な環境にもし生まれていたら、僕はきっとオダギリジョーと同じように兄にすべてを押しつけ逃げ出してるに違いないし、兄はきっとそれを受け入れ、耐えていくに違いない。

これをみて、兄と弟どっちの視点になるかで、自分の兄弟感が自然と炙り出される。地味な映画だけれども、見て損になることはないと思う。

短歌は良いぞ

最近、短歌を詠み始めた。

 

なれなれしい人まつげもやすちゃんさんのブログを読んでいたら、短歌を詠んでらっしゃって、なんとなく一句だけ作ってみたら自分天才じゃね!?となってそのまま続いている。その歌がこれ↓

 

背を向けた あなたを蹴飛ばす その代り 足元の影を そっと踏みつけ

 

どうっすか!?結構よくないっすかね、僕はいいと思うんですけどね、突然こんなことを言われて困惑気味に愛想笑いをしている皆様の顔が見えます。

 

まあでも上の歌はそもそもの着想からし綿矢りささんの『蹴りたい背中』からヒントを得まくってしまっているので、ぶっちゃけオリジナルとは言えない。『蹴りたい背中』がこんな話だったかは全然覚えてなくて、なんか女子高生が暗めの男子高校生の古びた木造家屋の二階の彼の部屋で写真集?がいっぱいつまった段ボール箱を見せられるシーンがあった・・・・?ぐらいの印象しかないんだけども。

 

言葉の持つ力っていうのはやっぱし強いもんで、「蹴りたい背中」はその中でも特に僕の中にしっかり残ってるものの一つである。このタイトルを聞き知っている人は、誰しも「あ、あの背中は蹴りてえ」とか、ふとした瞬間に考えるようになったに違いない。そんなことない?ちなみに僕は柔軟性皆無な人間なんで、蹴るとしても相手が階段を降りてる時にしか確実に思うようには蹴れず、そしてその絵面はどう考えても陰湿ないじめである。

 

話を元に戻すと、短歌って趣味としてやるにはほんとになんも手間かからないので、皆やってみません?単純に57577になるような言葉のリズムを探すのも楽しいし、俳句と違って季語いらないのでほんとに思いついたまま詠むだけでいいし、なんなら唯一のルールといってもいい57577も現代短歌はほんとにまったくと言っていいほど守ってないものもあるみたいです。

 

ちょっと何かを創作したりする側に回ってみたいけど、小説とか書く根性はないし、絵は下手だし、音楽もさっぱりわからないし・・・みたいなみなさんに、特に短歌はお勧めっす。

 

んじゃまた。