寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

『Sting』 監督:ジョージ•ロイ•ヒル 1973年

 

スティング (字幕版)

スティング (字幕版)

 

 映画。若手の詐欺師が、表にも裏にも広く顔のきく大人物に意図せずちょっかいを出してしまったために目をつけられ、相方を殺され自分も命を狙われる身になりながら、詐欺師として「命は奪わず金をだまし取る」ことを復讐として、様々な人物の手を借りて大計画を実行に移す話。

 

中々寝付けなかった日にぼんやり見た。面白かった。俳優の名演ぶりにしっかりと引き込まれ、先の展開を期待しながら見てしまう。話は単純ながら一本道にはなっておらず、かつ最後はすっきりと気持ちよく見終えることが出来る。高く評価されているだけのことはあると思った。

 

個人的に、劇中音楽にラグタイムが使われてるのが嬉しかった。これは20世紀初頭のアメリカで流行した軽音楽で、つい最近その名称を知り聴き始めたところだったので、「これ進研ゼミでやった奴だ!」みたいな偶然の快感があった。

 

有名どころのラグタイムの曲は例えばこれとか。

エンターテイナー ピアノ楽譜 スコット・ジョプリン / The Entertainer Piano Sheet Music Scott Joplin - YouTube

家にテレビがあるならまず聞いたことはあると思う。

 

 

 

 

 

福岡伸一『世界は分けてもわからない』 講談社 2009年

 

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

 

 

 

生物と無生物のあいだ』で一躍有名になった先生が、その続編のような立ち位置のものとして、雑誌連載していたのを一つにまとめた本。

 

前作は、人間の体はエントロピー増大の法則に対抗するために、「分解」と「合成」の絶え間ない動的平衡の中にあるということが話の中心だったが、今作はそれから更に発展して細胞分野のみならず絵画や写真などから「全体とは部分の総和以上の何かであり、その何かは流れ(=部分と部分の常に移り変わる関係性)である」とし、「世界に部分はなく、輪郭線もボーダーもない」ことを示しながら、それでもなお世界を分けつづける意思を静かに書き記して終わる。

 

その考えそのものはそれほど目新しいものでもないけれど、分子生物学者としての深い経験と、他分野にも精通する学識で持って書かれた文は非常に読ませるところがあり、これは有名になってくれてよかった人だと思う。

 

ただ事実そのものを教科書的に書くことなら知っている人になら誰にでも出来ることで、福岡先生はそれをしっかり自分の血が通う文章にしている。これが出来る人になりたいですね。

有島武郎『小さき者へ』

有島武郎は、1878年明治維新から10年後に生まれ関東大震災の起きた1923年に亡くなった白樺派の作家。

今回は岩波文庫の『小さきものへ•生まれいづる悩み』から、

小さき者へ』は妻を結核で亡くした後に、残された自分の子に対して宛てた文章、

『生まれ出づる悩み』は実在の人物をモデルにした、平民生まれだが芸術の精神を解し画家を志すも、境遇ゆえに故郷に戻って漁師にならざるを得なくなった青年との交流を書いた小説になっている。

 

 

小さき者へ・生れ出づる悩み (新潮文庫)

小さき者へ・生れ出づる悩み (新潮文庫)

 

 

 

積んでいる本をいい加減消化しようと思って読み始めたものの一冊目で、実を言うとこれは一度既読済みなのだが、読み通したかどうかの自信が持てなかったので再読。

 

小さき者へ』は子に対する熱い情念で書き上げられている。1p目から

お前たちは去年一人の、たった一人のママを失ってしまった。お前たちは生まれると間も無く、生命にいちばんだいじな養分を奪われてしまったのだ。お前たちの人生はそこですでに暗い。

とか、

お前たちは不幸だ。回復の途なく不幸だ。不幸なものたちよ。

とかいっちゃう。 普通子供にこんなことは言わないし言えないと思う。

こんな調子から始まり、後は妻を失った悲しみと子に対する思いがないまぜになった文章がずっと続く。

 

読みどころは思いの丈が詰まったその文章そのもの。

なにしろお前たちは見るに痛ましい人生のめばえだ。泣くにつけ、笑うにつけ、おもしろがるにつけ、さびしがるにつけ、お前たちを見守る父の心は痛ましく傷つく。

その全てに、子供たちに母を亡くしたという一点で持って不幸な人生を送ることへの感傷が流れている。だが決してそれだけで終わっているわけではなく、最後の行け。勇んで。小さき者よ。で終わる力強い段落は一読の価値は十二分にあり。

 

一度目に読んだ時は親の事について色々と考えていた時期だったこともあり、こんなに子を思う親がいるもんなのかと衝撃を受けた覚えがあったが、今回はある意味では凄く冷めた目線で読んだ。 

 

『生まれいづる悩み』についても書こうと思ったが、今までの記事と比べて長くなりそうなのでとりあえずやめておく。いつか書く。

 

酔ってる。

酔ってるまま書いてるので、なんかおかしいとこあったらすまん!という記事。

 

 

酔ってるけどすまん!とか書いときながら、ミスタイプしてて、しかもそれはきっちり修正している。ミスタイプ、をミスタ椅子、と書いてしまうぐらい、一行につき二回 (これも最初は二階って書いてたし、なんなら(も;って打ってたし)ぐらいミスタイプしながら書いてるけど、そこは間違った!と思って直してるあたりに、最低限自分の譲れないラインがそこにはあるんだろうなあという感じ。

 

酔うと人の素が出るとはいうけれど、例えば今終電で最寄駅に着いた時、めっちゃ小便したいって思ってトイレ行くと同じ感情のおっさんと

目があって「君も?」「あ、そうっす」みたいな風に目があってにっこり笑い合うとか、手を洗おう!と思って洗面所に行くとその勢いですこしよろけたりとか、駅前の違うガールズバーの客引き同士でなんか仲良くなってたりとか、他の奴と比べれば客観的な状況判断ができてるだけまだまだましでしょとか思ってたりする自分とか、もろもろいいなあと思うわけです。

 

 

この記事も、酔ってるなりに推敲して書いてるし、酔ってる割にはちゃんと書けたっしょ!?と自画自賛してるし、まあ何が言いたいかっていとただ酔ったよってことですかねぇ。

 

皆さん今日もお疲れでした。明日もそれぞれ自分なりに頑張りましょうね。では。