寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

マイケル•ブース『英国一家、日本を食べる』 寺西のぶこ訳 亜紀書房 2013

 イギリスのフードライターが日本に来てグルメリポートしてる本。NHKでアニメ化されたりもしてるので、タイトル知ってる人は多いのでは。

 

 

英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 

 

 ただその辺の料理屋に行ってるだけじゃなく(それだけでも多分面白いけど)、今はなきビストロスマップの撮影の見学をしに行ったり紹介でしか入れない会員制の銀座の店に行ったり相撲部屋でちゃんこ鍋食べたり色々してる。

 

 訳者解説を見る限りあちらでも多分一般的ではない、家族連れでの取材になっており、さりげなく入ってくる家族たちがいいアクセント。

 

 全部を全部をおいしいといっているわけではなく、日本食をはじめて食べた感想をじかに伝えてくれている。また全体を通して日本に好意的。

 

 「日本食の素人で、食の玄人」というアマゾンレビューが的確。

 

 

佐藤多佳子『第二音楽室•聖夜』 文藝春秋 2010年(初出は2005~2010)

 小学五年生の秘密基地『第二音楽室』

男女ペア形式の実技テスト『デュエット』

卒業生に贈るリコーダーアンサンブル『FOUR』

いじめられ不登校になった女の子が、インディーズアーティストに焦がれてギターを始める『裸樹』

高校オルガン部生の母との確執『聖夜』

以上所収。

 

第二音楽室 (文春文庫)

第二音楽室 (文春文庫)

 

 

 

聖夜 ― School and Music

聖夜 ― School and Music

 

 

 

あったかく人を見てる人なんだろうなと思う。

長編の『裸樹』と『聖夜』の方が筆が走っててよい。『聖夜』の主人公は、生い立ち的に仕方ないのかも知れないけれど、斜に構えすぎている様に思えてしまい、どちらかというと『裸樹』の方が物語的にも好き。

 

音楽のおかげで私は救われた、という文章って時々見かけるが、リアルタイムだとあんな風になるのかな。

 

 

 

 

佐藤多佳子さんは『しゃべれども しゃべれども』『黄色い目の魚』『一瞬の風になれ』などなど書いてます。どれもいい話。

 

 

 

 

 

 

 

 

ジェイムズ•ティプトリー•Jr『たった一つの冴えたやり方』 朝倉久志訳 早川書房 1987年(初出は1985~86)

16才の誕生日に両親からもらった小型スペース•クーペで銀河に旅立つ少女を描いた表題作

『たった一つの冴えたやり方』

戦役経験後、宇宙で救難の商売を始めた男はかつての恋人と再会する『グッドナイト•スイートハーツ』

戦争か和平か?スリルある異文化交流『衝突』

以上所収。

 

 

 

表題作、タイトルだけは知ってたんだけど、SFだったんですねー。漠然とミステリ系の様な想像をしていたので、脳にエイリアンが住み着いた描写が始まった時はもうどうなることかと思いました。

 

3つとも読み終わってしまえばちゃんと胸の中に収まりどころがある話でしたが、SFは読書経験が少ないことと、なんでもありみたいなイメージがあるのと、文体のせいで何もかも滅茶苦茶になるんじゃねえかって不穏な雰囲気が読中はずっとありました。

 

『たった一つの』は、まあ話題になるだろうなって感じの良い話。16歳がさしたる混乱もなく、最後の判断を下せるというのはちょっと凄すぎ。

 

『グッドナイト』も最後の主人公の決断が肝な話。全体的に重たい空気だったところに、ぶわっといきなり解放感が来るのは良いですね。

 

『衝突』が個人的に一番好き。船からの通信が来るたびにいやがおうにもましていく緊迫感。けど結局は事態が好転するのを信じて待つしかない感じが良く出てました。

 

しかし覚えやすいタイトルで得してるよねー。巻末の案内見たら、『愛はさだめ、さだめは死』もこの人の著書だそうで、これまた想像の膨らむ格好良さ。ウィキペディアではこっちの方が代表作になってました。次読むSFはこれですかね。

 

 

 

 

 

高橋秀美『はい、泳げません』 新潮社 2005年

 チェコ好きの日記さんで紹介されており、気になったので読んだ。

 

 

はい、泳げません

はい、泳げません

 

 

 水が怖い怖いと怯える中年男性が、怖い怖い言いながら泳げるようになるノンフィクション。

 

 「できなさ」と付き合うためのハウツー、という切り口の本という先入観で読んでいたのだけれど、個人的にはあんましそういう風には見えなかった。

 

 高橋さんの「できなさ」は一重に水への恐怖に起因していたわけで、嫌々ながらもスイミングスクールに通っていくと彼は泳ぎ自体は上達していく。

 

 彼が後半で「泳ぎたくないけど、泳げちゃう」という水との付き合い方を会得したことからも分かるように、本書から学べるのは「どうしてもやりたくないこと」と付き合うためのハウツーなんではないかと思う。

 

 まあそんなことはさておき無類に面白いのは間違いない。「泳げる人」の只中に一人孤立する「泳げない人」である高橋さん。初心者の頃は訳が分からないままやっていたことが、中級者になってからちょっと理解できるかな?と思った途端、「泳げる人たち」と自分との違いが却って浮き彫りになったり、こういう感じで学習って行われてくんだな、という感じ。途中で日本古式泳法に浮気したりするのも如何にもそれっぽい。

 

 あと実際に身体感覚的に文章にされたときの、スイミングスクールの生徒さんたちの泳ぎに対する感覚の違いもまた面白い。身体との付き合い方はほんとに人によって千差万別なんすね。

 

個人的ツボポイントは、桂コーチがレッスンが進むにつれてコロコロ言うことが変わり、それに高橋さんががんがん翻弄されていくところ。こういうのあるあるだよなあ。