幸田文(いつも「ふみ」なのか「あや」なのか迷う。あやです)さんのエッセイが好きで、幸田文さん好きが必ず一緒に名前を挙げる人が向田邦子さんなので、気になって読んだらはまりました。
ほとんど全てが子供の頃の鮮やかな思い出話で占められている本著は、筆の向くまま書き連ねたとみえ、一つの章に一見無関係に思えるエピソードがこれでもかと詰め込まれている。話が三転どころか四飛五跳し気づけば最初の話が霞のようになるタイプのおばちゃんはどこにでも存在すると思われるが、自由なハンドル捌きに追いすがるようにしていくとすとんと落ちがある。
最初からそうしよう、と決めた訳ではなく、自分の人生の些末事を振り返り振り返りすると、こんなところにこんな共通点があった、という風な書き方で、それがいかにも自然で気持ちが良い。
以下はちょこちょこ気に入ったとこ。
鯛やひらめの舞い踊り
ただ珍しく面白く
月日のたつのも夢のうち
(本書p117より)
たいやひらめがまいおどる、は、シャドバの乙姫が言ってたので知ってたけど、元ネタがあるとは思わなんだ。知ってました?
こういう古歌とかを文章の端々にさらっと挿入出来るのかっこいいよなぁ。
ライオンは人のいい目をしている。虎のほうが、目つきは冷酷で腹黒そうだ。
熊は図体にくらべて目が引っこんで小さいせいか、陰険に見える。パンダから目のまわりの愛嬌のあるアイシャドーを差し引くと、ただの白熊になってしまう。
ラクダはずるそうだし、ゾウは、気のせいかインドのガンジー首相そっくりの思慮ぶかそうな、しかし気の許せない貴婦人といった目をしていた。
キリンはほっそりした思春期の、はにかんだ少女の目、牛は妙に諦めた目の色で口を動かしていたし、馬は人間の男そっくりの監視委目であった。競馬場でただ走ることが宿命の馬と、はずれ馬券を細かくちぎる男達は、もしかしたら、同じ目をしているのかもしれない。
(本著p189-190)
此処、一番共感しながら読んだ。人の顔を動物に例えたり、反対に動物を人に見立ててみたり、そういうことってしますよね。