今回から、思考を転換して書くことにする。
これまでは、なんとなく、ただ適当に書散らしていただけだが、それではいけない事に内田樹先生の本を読んでいて気づいた。
そこには、「読者を尊重する」という姿勢が見られない。
文章を書き、公開する以上、そこには書き手と読み手が存在する。
書き手に一番必要なのは、知識でも知性なく、読者に敬意を払い、読者が「ああ、こういうのを読みたかったんだ!」と言ってくれる様な物を書こうとする、姿勢である。
という訳で、今日はバレンタインデーである。
なので、全国のチョコをもらえずお嘆きの男子のために、どうしてチョコをもらえる人ともらえない人が存在するのかについての、論理的知見を紹介しようと思う。
またかよ、と思うかもしれないが、これも内田先生が提唱したものである。(なんか信者みたいだな、僕)
手元に本がないため、出典を明確に出来ないが、先生は、チョコをあげる、という行為は、「贈与」ではなく、「返礼」であると指摘した。
チョコをもらえるかもらえないか、というのは、バレンタイン当日に決まるのではない。
そうではなくて、女の子に対する過去の行為(困っている時に助けてあげたり、あるいは一緒に遊んで楽しませてあげたりといった)が、結果としてバレンタインのチョコ、という形でもたらされるのである。
どうして俺の元にチョコが来ないんだ、と嘆く人々は、十中八九、相手からの無償の「贈与」を期待している。
その態度では、「返礼」が訪れる事は、未来永劫ないだろう。
ゆえに、チョコが欲しいのならば、まず「贈与」をする事である。
そうすれば来年には、「返礼」が訪れるやもしれぬ。
(そんな事を言うお前はどうなんだ、と言われそうだけど、そこは察して下さい)