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姫野カオルコ『昭和の犬』 幻冬舎 2013

 

昭和の犬 (幻冬舎文庫)

昭和の犬 (幻冬舎文庫)

 

 

 僕は凄い好きな本になったんだけど、魅力を伝えるのが難しく、どう書けばいいのか非常に迷う。

 

 と思って検索したら作者のブログのここに辿り着いた。そのものズバリ魅力が書いてあった。そのまま引用。

 

「大都市ではない小さな町」には、いろいろとメンドウなことがありましょう。

そんなメンドウさの中で、さらにまた家の中で、苦しい気持ちになっている子供がいることを、意外に大人は気づかない。
子供は、子供ゆえに、他者に語る語彙や知識がない。
味方がいないのです。
その小さな疵(きず)を抱えて大人になったとき、疵を抱えずに大人になった人をさぞやまぶしく感じるでしょう。

そのまぶしさが、ふたたび自分の中の小さな疵(きず)を照射する。
そのときにできる影。
それを、疵を抱えた大人は、大人になったのに他者に語る語彙がない。
そんな大人に、すこしでも、あなたはひとりではないとささやいてあげられるのが、『昭和の犬』という小説であればと、私は願っています。「スタジオ・ジブリ」のアニメでは掬えない部分を私が受け持とうと。

 

 

 これを自分の言葉で書けなかったのは一重に自分のレベル不足で、悔しい限りなんだけど、ホントこういう話だった。

 

 僕に言語化不能の小さな瑕、トラウマというべきものは、正直に言ってしまえばあるにはあるけれども無視してしまえるほど微々たるもの、だと自分では思ってて、だから上を読む限りは僕はお呼びでない読者だ。ジブリでも見てろ、てなもんです。

 

 の、はずなのに主人公が理不尽な父の怒りに身を強張らせ、その後幼い頃託児所で教わったキリストの祈りを預言者の描かれた絵皿の前で唱えたりしている描写を読んでいると胸がざわざわする感じを覚える。瑕のつき方はそれぞれ固有で混ざり合いもしないし、イエス様に頼ったことなんてないんだけど、確かに経験したことがあるものが書いてある、という気がする。

 

 だから戦後初期~昭和が終わるぐらいまで、主人公の幼年期~成長期(※主人公は女性)までの章は、そういう意味では呼んでてつらかった。そういう、周りからぐわんぐわん色々取り込んでる時期に、何かしら抱えてしまうもんなんでしょうな。

 

 反面、平成9年に飛んだ終章は非常に穏やか。49歳となった彼女は、もう完全に自分に瑕があることを受け入れられている。前向きでも後ろ向きでもないその佇まい方がまた、亡くなった祖父母とダブって個人的に大変良い。

 

 昭和っていう年代がやっぱり凄く濃くて、そういうところも書き方に影響している気がする。僕の周りには戦争を経験したことのある人なんて居ないし、ましてぼろっと「人の肉はすっぱい」なんて、それこそ戦争中の自分の瑕をさらけ出してしまうような人物に出会ったことはない。これをファンタジーじみた気分でも読めてしまうのは幸せなことなんだろうと感じる。

 

 あと、トラウマそのものをえぐっていくのではなく、そこに犬っていうフィルターを一つ通してるのも上手いなーと思う。多分そのまま差し出さられてたらえぐくて読めなかったし、瑕を持った人を癒すような物語にも出来なかった。

 

 あと主人公がちっさいころの感受性が豊かでかわいい。犬もかわいいからほのぼのするシーンはほんとほのぼのする。

 

 ああよかった。