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1988年の未来:『流れよわが涙、と警官は言った』ファリップ・K・ディック  友枝康子訳 ハヤカワSF文庫 1999年(原著1974年)

 おれは存在していないんだ、と思った。ジェイスン・タヴァナーなどいないんだ。過去にもいなかったし、これからだって。仕事はどうともなれだ、ただおれは生きたい。もしだれかがあるいはなにかがおれの経歴を消しちまいたいのなら、かまわない。そうすりゃいいさ。だけど存在することを全然許されないというのか?おれは生まれてもいないのか?

(本著p38)

 

タイトルかっこよすぎか。

 

 

流れよ我が涙、と警官は言った (1981年) (サンリオSF文庫)

流れよ我が涙、と警官は言った (1981年) (サンリオSF文庫)

 
流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)

流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)

 

 

○あらすじ

 超有名なテレビ歌手が不倫相手に寄生エイリアンかまされて起きたら自分の出生記録全部消えてやべぇ。

 

○感想・考察

 世界から自分の存在の痕跡が消え、「どうにでもなりやがれ!」言いながらあがく感じが洋画の主人公の典型みたいで面白かった。

 

 作品中での1988年は住民全てが国に登録されてなきゃいけないらしく(単に出生届がなんらかの事情で出されなかった人、とかそういう想定は一切されない)、それが原因で主人公さんは警官から目をつけられ、しかもつかまったら強制労働確定とかで、全体的に1974年から思い描く10年後って何か暗すぎない??

 

 2017年の今から読んでも、エイリアンがあっさり登場したり、車に変わるものとして普通に皆ヘリ乗ってたり、近未来なんすねーつって受け入れられてしまうのが不思議。40年前と比べて、未来像は実はそんなに変わっていないのだろうか。

 

 理不尽に存在が消えてしまった、という話では終わらず、SFなので一応考証もなされてるんだけど、他者の認識によって世界はかくも変容する、怖いねって話の理解で読了後後書きを読んだら、アンドロイドと人間の違いについて書かれてるって言っててめちゃ驚いた。

 

 主人公、スイックスって呼ばれる遺伝子組み換えされた人間ってことが作中でたびたびほのめかされるんだけど、それが物語のテーマに深く関わるとかなんとかって話で。

 

 そういう読み方が出来なかったのは、僕がジェイスン・タヴァナーを感情移入できる人間として見ちゃったからだと思うんですよね。人によってはもしかしたら違和感を持つようなところを普通に読んじゃったのかな。

ロボット技術がもっと発展してったら、自分は多分真っ先に彼等にも心はあるんじゃん?とか言い出すようなタイプなのかも。

 

 どっちかというと本編よりもあとがきの熱の入りようのほうがツボで、考えることも多かった。

 

 以前紹介した『口ひげを剃る男』も日常が変容する系小説だったけど、もし『口ひげを剃る男』が『流れよわが涙、と警官は言った』を読んでればあんな悲しい結末にはならなかったろうなぁ、とか妄想。

marutetto.hatenablog.com

 

 

 

○印象に残ったシーン

(主人公を捕らえた、警察官パックマンの独白)

 おれはけっしておまえに説明するわけにはいかない。ただこう言うだけだ。当局の目に触れるんじゃない。おれたちに興味を抱かせるんじゃない。おまえのことをもっと知りたいなんて、おれたちに思わせるんじゃない。

(本著p374)

 

 ここからの、満を持しての涙。熱いシーンだった。