ていうかwikiに単独項目がない。
黄瀬戸の知名度を上げよう企画として、弱小ブログではあるが調べた結果をここにまとめてみる。ネットにも全然情報落ちてないんだもん。あくまで素人が調べた結果なんで、間違ってたらすまん。
前にも貼ったけど、黄瀬戸はこういう奴です。
(『窯別ガイド 日本の焼き物 美濃』より)
かわいい。
本のタイトルを見れば分かるとおり、黄瀬戸はそもそも美濃の焼物の一種とされているので、まずそちらの歴史を概観。
美濃の焼物は8世紀、須恵器(すえき)の生産から始まる。当時の『延喜式』(法令集)には、この須恵器を美濃が納品していたことが記されているといいます。
(画像はwikipediaから)
須恵器はこういう、古墳時代~平安時代にかけて生産された、硬くて地味な色してるやつ。
美濃の窯は、9世紀以降東海地方全体の流れに呼応し、須恵器の大量生産の方向へ向かいます。この時期には美濃焼は日本有数の窯場となり、ここで造られた須恵器は全国に普及し、また10世紀には美濃の各地に窯が出来ていきます。
器に灰釉、鉄釉を施した、古瀬戸系施釉陶器と呼ばれている一群が登場するのもこの頃だそうです(釉っていうのは要するに釉薬のことで、陶磁器の表面に耐水性を増させたり光沢つけたりするためにかける液体のことを総称していいます)。
施釉技術は、元々山の斜面にトンネルと煙出しをつけただけの形態の窯(穴窯と言います)で焼いたときに、自然の灰が偶然釉をかけたようになった状態のものが、じょじょに発展してきて生まれたそうな。
瀬戸の初期形態としては、瓷器手(しのうつわで)という名称もあるみたいですが、これと古瀬戸系施釉陶器が一緒のものを指しているのかは不明です。瓷器手で検索しても中国語のサイトしか出てきませんでした。
また多治見、恵那といった一部の窯では、緑釉の陶器も焼かれています。
しかし12世紀に入ると一転、流行の変化のためなのかなんなのか、窯工たちは施釉の技術を次々と捨て、またそれにともなって流通も東海地方に限定されていきます。何で捨てたし。
この状況はしばらく続き、再び美濃の焼物が脚光を浴びるのは、離散してきた瀬戸の陶工たちが美濃で生産を始めてからです。
離散原因については①応仁・文明の乱に伴う世情不安②美濃国の陶工の受け入れと、製品流通のための、陶工の積極的な移動がマッチしたなどの諸説があるようです。
ここでまた施釉の技術が美濃に伝来します。
そしてまたこの時期は、①窯の技術②世情③茶の湯の3つに変化が起こります。
まず①では、それまでの穴窯から大窯という、地上式の窯への転換が起こります。これにより容積の拡大、効率の向上、安定的な生産など、様々な技術が一気に向上します。
続いて②では、戦乱の世が治まったことで、人々に陶器を楽しむだけの余裕が生まれました。
③は、②にともない、それまでの中国陶器万歳な時代から、自分達の文化の中での美を追求しはじめたことを指します。
こうした動向の中で、中国陶器に日本独自の要素を加えた、正統な発展形として出現したのが黄瀬戸でした。
当時は瀬戸で生産された焼物、という風にみなされていたために黄「瀬戸」と呼ばれてしまっていますが、れっきとした美濃のものです。
油揚げのような色合いは、鉄分を加えた素地を酸化焔という酸素を多く含んだ炎で焼成することによって生まれたものです。
また冒頭の茶碗にも見られるような、深緑の胆礬(たんぱん)は、中国の三彩(緑・茶・白の釉薬を使った陶磁器)を意識しているのだろうとのこと。ちなみに、この胆礬が見られないものは「ぐい呑み手」と分類されるとか何とか。
見こみ(内側の中央部分)に印花やら印字やらがなされているものが一番高級品で、あの利休がなんか書いてるやつもあるとかないとか。
「日本の陶磁器」というジャンルの先駆者として黄瀬戸は非常に重要な意味を持ちますが、残念ながら桃山時代ではその流行はすぐに過ぎ去り、瀬戸黒、志野、そして『へうげもの』とかでも有名な織部様式へと取って変わられていくことになります。
その歴史の短さゆえに現存する品もまた少なく、研究が進んでない原因となっています。
個人的には、「日本の表現」を追求していこうとしていた当時の人々にとって、黄瀬戸は小さくまとまりすぎていたのかもしれない、とは思います。実際、織部などは「破格」といった形容がよくなされるそうですが、黄瀬戸はそのような冒険心は全く見られません。
今回は黄瀬戸を紹介する、ということだったので、この辺にしときます。
瀬戸黒・志野・織部についても資料自体は一応集めたっちゃ集めたんですが、ぶっちゃけ黄瀬戸ほどの魅力を自分は感じませんでした。
それまでの文脈を踏まえたうえで瀬戸黒などの様式はあるのであって、門外漢がみてもぶっちゃけ瀬戸黒なんか「黒いだけやん」としか思えません。
織部はちょっと面白そうだったけど。総織部っていう緑を全面にかけた、黄瀬戸の系譜の陶磁器があるみたいだし。
現代でも美濃陶芸をやっている人は存在しますが、歴史の移り変わりによって技術が一度何もかも失われていたそうで、復元がめちゃ大変だったみたいです。
黄瀬戸については、林景正(1891-1988)という人が有名です。もう年代的に現代ではないけど。気になるお値段はヤフオクで平均落札価格3000円とのことで、大分お安い。
今までで一番長い記事かもしれん。ゆーて2000字ですが。
もっと詳しく美濃陶磁器について知りたい!という人は、以下の本などにあたってみるといいのではないでしょうか。
窯別ガイド 日本のやきもの 美濃 (窯別ガイド日本のやきもの)
- 作者: 伊藤嘉章,唐沢昌宏,林達雄
- 出版社/メーカー: 淡交社
- 発売日: 2003/07
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
以上。