寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

震わせろ縄文魂:『縄文ZINE 土』 縄文ZINE編集部 2018年

 新しいことばかりが発見じゃない。自分にとって勇気が湧くような古い映画だって、年の離れたお兄ちゃんが教えてくれた80年代のUKロックだって、もちろんもっともっと古い時代、歴史や縄文時代のことも誰かの大切な発見となることだってあるだろう。

 レコード店の大量のレコードから目当てを探すことを“ディグる”という。“ディグ”はもともと“掘る”という意味で今ではこの言葉はレコードだけではなくすべてのジャンルで“自ら探す”という使い方をされている。
 縄文時代は土の中、文字通り掘らないことには始まらない。発掘を“ディグる”と言っている考古学者は今のところみかけないけど、良い言葉なので個人的には使ってみたい。

 掘らなきゃわからない。と言っても1849年のカリフォルニアじゃないんだから、金塊は出てこない。カリブ海で大威張りだったあの伝説の海賊の宝だって埋まっていない。石油も温泉も湧き出てこない。日に焼けて、虫に刺されて、泥だらけになって発見したものの上澄みが博物館に並び、誰かに発見されるのを待っている。

 驚くほどたくさんのジャンルから縄文を。びっくりするほどたくさんの本の中から『縄文ZINE』、『縄文ZINE(土)』をディグっていただきありがとうございます。この本が誰かの“小さな発見”になることを祈って、つれづれなるまゝに。
(本書 「徒然土」より)

 

 縄文愛が伝わるいい本だった。

 

縄文ZINE(土) (フリーペーパー合本)

縄文ZINE(土) (フリーペーパー合本)

  • 作者: 縄文ZINE編集部,望月昭秀,前田はんきち,小山けん,高橋由季,北野智也,松岡宏大,大高志帆,ヤミラ,楯まさみ,杉能信介
  • 出版社/メーカー: ニルソンデザイン事務所
  • 発売日: 2018/01/27
  • メディア: 単行本
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〇紹介
 縄文人おすすめの〇〇/立ち話、最近の縄文人/都会の縄文人/“縄弱“のための質疑応答/縄文なう/忙しい現代人のための縄文絵描き歌/こやまけんの縄文漫画、などのレギュラー陣をはじめとする様々な縄文記事が詰まった、ニッチすぎると話題のフリーペーパー『縄文ZINE』の1~4がなんと合本になりました

〇感想・考察
 土偶のポーズをモデルに取らせて「ドグモ」とか、縄文なうの「JAZZを聞く #こんな土偶は嫌だ」とか、くっだらねー!と思いながら発想にいちいち笑ってしまう。確かにJAZZ聞いてたらやだよね。土鈴を聞け土鈴を!これが何なのかわからない縄弱の貴方は縄文ZINEをゲットだ!

 遊びばっかの記事だけでなく、縄文時代の解説を挟んでみたり、都会の縄文人と称してラーメンズ片桐仁やタレントの藤岡みなみに登場してもらったり、アイヌ特集では『ゴールデンカムイ』の野田サトルにもインタビューを敢行するなど、「これフリーペーパーだよね?」という疑問が湧くような充実ぶり。みなみさんの、「雑誌は正しく古びていく感じがするから好き」という言葉には唸らされるものがあった。感性凄い。

 サンリオのキキララの説明に唐突に北斗の拳をぶっこんできたり(あれ完全にジャギに解説食われてるでしょ)、山内清男先生をネタにしたりとやりたい放題してる姿からは、「縄文の雑誌だからって縄文時代に閉じこもる必要はないっしょ」という奔放な精神が感じ取れる。

かといって、(無理やりでもあって、そこがまた笑いどころなんだけど)一本縄文で筋を通そうとしているような心意気もあり、それが良い。

 

 日常と等感覚で縄文が接続してる人々の脳内をたっぷり味わい、ふと顔を上げれば、目の前に移る光景のそこかしこに、貴方も縄文時代を見いだせる、かもしれない。

 

以上。

自己啓発じゃ終わらない:『アルケミスト 夢を旅した少年』 パウロ・コエーリョ著 山川紘也・山川亜希子訳 角川文庫 2004年(原著1988年)

 「おまえさんはわしにとって、本当に恵みだった。今まで見えなかったものが、今はわかるようになった。恵みを無視すると、それが災いになるということだ。わしは人生にこれ以上、何も望んでいない。しかし、おまえはわしに、今まで知らなかった富と世界を見せてくれた。今、それが見えるようになり、しかも、自分の限りない可能性に気が付いてしまった。そしておまえが来る前よりも、わしはだんだんと不幸になってゆくような気がする。なぜなら、自分はもっとできるとわかっているのに、わしにはそれをやる気がないからだ」

(中略)

 たぶん世の中には、羊に教えてもらえないことも他にたくさんあるのだと、少年は老いた商人を見ながら思った。羊たちが実際にすることといったら、食べ物と水を探すことだけだ。そしておそらく、彼らが僕に教えてくれたのではなく、僕が彼らから学んでいただけなのだ。

 「マクトゥーブ」と商人が最後に言った。

 「それは、どういう意味ですか?」

 「これがわかるためには、アラブ人に生まれなければならないよ」と彼が答えた。「しかし、おまえの国の言葉で言えば、『それは書かれている」という様な意味さ」

 そして、彼は水ギセルの石炭の火を消しながら、少年に、クリスタルのグラスでお茶を売る商売を始めてもいい、といった。時には、川の流れはもうとめられないこともあるのだ。

(本著p69-70)

 

 この商人さんをもっと掘り下げてほしかった。

 

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

 

 

〇あらすじ

 羊飼いの少年がピラミッドに行けという前兆に導かれて金貯めながら旅をして錬金術師の弟子になってある日絶対絶命の最中自分も大いなる魂の一部なんだと悟りを開いて宝物を見つけてハッピーエンド

 

〇感想・考察

 ありがち→でもちょっと良いとこもある→でもありがち→でもこのへんちょっと面白い、ていうループ。全体を貫くのが「迷わずいけよいけばわかるさ」とか「さすれば道は開かれん」とかそういう類のもので、そこにちょくちょく入ってくるスパイスで何となく読んじゃう。

 

 ラスト付近の、嵐を呼ぶシーンはとても解放感があってよかった。特に太陽に呼びかけた時の、「大いなる魂も惑う」という一節には考えさせられるものがある。自分を導いてくれるものにもブレがあるんだ、っていう気付きは単純だけど、中々思い至れない部分で、ちょっと普通の自己啓発本とはこの辺違う感じがした。最終的に「すべてを書いた手」が出て来てドーンときてバーンでなんかよくわかんないけど勢いで凄い!ってなるあたりもちょっとトリップしてて良い。

 

 とはいえ自分の「普通の自己啓発」へのイメージは完全に偏見なので、この本がそこらと比べてどうなのかは実際はよくわかんないんですが。

 

 

日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ

日常に侵入する自己啓発: 生き方・手帳術・片づけ

 

 ↑

ついでにこれも紹介しときます。まだ全部読んでないけど面白い。自己啓発の流行について研究した本です。特に僕みたいな、あれらに偏見のある人々にお勧め。良い小説・漫画が読みたい、というのと同様に、ちゃんとまっとうな需要があるからちゃんと売れてるんだな、ということがよく分かる。

 

 

 

伝承の創造:『貴婦人ゴディヴァ:語り継がれる伝説』 ダニエル・ドナヒュー著 慶應義塾大学出版会 2011年

 どんな人でも貴婦人ゴディバについては耳にしたことがあるだろう。ほとんどの人にとって、彼女の名前を聞いて思い浮かべるイメージは、馬に乗った裸の女性である。数は少ないが、ゴディバの馬乗りの話と聞いて、「ああ、こういう話でしょ」といえる人たちもいる。たとえば、あれは中世のコヴェントリーで起きた事件だよとか、「重税を軽くしてあげて」と願う彼女に向って、「裸になって馬にのれ」と夫がけしかけたこととか、コヴェントリーの市民はそれを見るのを禁じられたけれど、一人の男が彼女を見て、その途端に目がみえなくなった、などなど。この覗き見をした男が「覗き屋トム」という表現の元になったのだ、と答える物知りも多少はいるだろう。それでも、この伝説についておぼろげな記憶しか持たない人たちは、ゴディヴァを民話のヒロインとしかおもっていないのが普通だ。まさか、十一世紀のイングランドを生き抜いた、血肉を持った女性とは思ってはいない。

(本書 序論より)

 

 チョコレートのゴディヴァの名前の由来の人です。

 

 

 

貴婦人ゴディヴァ: 語り継がれる伝説

貴婦人ゴディヴァ: 語り継がれる伝説

 

 

〇内容要約

 冒頭にあげた伝説はよく知られてるけど史実ではなく、しかも元ネタらしい元ネタもなく、13世紀に突如として登場したっぽい。裸の女性馬に乗る、というエロいイメージが民衆に受け入れられ人気になり、伝説を再現したお祭りがはやる。そこに覗き屋トムの伝承が付け加わったのは17世紀のことだったが、その精神的背景とはどんなものだったのか?

 

〇感想・考察

 覗き屋トムは、英語ではPeeping Tomと書いてのぞき見する奴を総称する単語になってます。

 いつか何かの英文で単語見かけて、意味を調べた流れからゴディヴァの伝説を知りまして、今回図書館で数年ぶりにこの名前を見てなんとなく借りた、という次第。

 

 中世においては髪を解く=性的、ていうとことか、統治者が女性であっても、統治者という立場がある以上、その管理は女性に完全に一任されていた、とか面白いと思う知識も多かった。伝説の変遷自体は結構頑張って追ってるのに、要はエロかったからこの伝説は流行ったんだ!!!ていう結論の雑さも味わい深さある。

 

後ちょくちょく入る挿絵も好き。

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 ↑この扉絵のやつとか、

あと表紙になってるこれとかと比べた時の、

 

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こいつの背景といい人物といいやる気のなさ。良い。馬は結構頑張ってると思う。

 

以上。

 

 

生きててももう居ない:『アンネの童話』 アンネ・フランク 中川李枝子訳 酒井駒子絵 文春文庫 2017年

 夕方八時、ドアがまた開いて、あの小柄な娘がもう一度おっきいバスケットをふたつ腕にかかえて出てきます。娘は小さい家々のまわりにある、あちこちの野原に行きます。遠くに行く必要はありません。 野原ではすぐかがんで花をつみます。大きい花や小さい花、いろいろな花がバスケットにはいります。太陽がしずみかけてもまだ、明日のぶんをつんでいます。

 バスケットがふたつともいっぱいになって仕事はおわります。太陽は沈み、クリスタは草に寝転がると両腕を頭の下で組んで空を見上げます。

 クリスタの大好きな十五分間です。この働き者の小さな花売り娘がかわいそうだなんて思わないでください。このすばらしいひとやすみのあるかぎり、クリスタの毎日はけっしてけっして不幸ではありません。

(「花売り娘」,p50-51)

 

アンネの童話 (文春文庫)

アンネの童話 (文春文庫)

 

 

 

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)

 

 

○あらすじ

アンネの日記』の他に書かれた童話・エッセイの中から、30編を収録。童話14編、エッセイ16編。

 

○考察・感想

 『アンネの日記』は中学生の時に読んでて一時トラウマになった記憶があったので、チャレンジする気持ちで読んだんだけど、これはそうはならなかった。 

 

 『日記』は、同年代の子が書いてるという部分がポイントで、だから当時はアンネを14,5歳のイメージのまんまイメージしてたんですよね。で、その子がこの日記を書いた後は理不尽に亡くなっている。当時の自分が具体的に何に対して恐怖を抱いたのかはもはや覚えていませんが、それがなんとなく怖かった。

 

 ですが今回読んでみて気づいたのは、必ず最初にその文章が書かれた年月がかかれてて、「1943年」とか「1945年」とかそんなんなんですよね。『日記』と同時期なので当然なんですけど。

 

 アンネって、今でも生きてたら88歳ぐらいみたいなんですが、平均寿命から考えると、それってもう老衰で亡くなってても全然おかしくない。

そう考えてみたとき、頭に浮かんだのはおばあちゃんになったアンネで、「少女」としてのアンネは、一回(僕の中では)完結したという感じがしました。

 

 アウシュビッツの事件と一緒に取り上げられることが多い分、「被害者としての少女アンネ」としてしか『日記』も『童話』も受容できない、という人も多いだろうと思います。 

なんですけど、たとえそこから生き延びられたとしても、もう亡くなってる可能性のほうが高い、という時代になって、まだずっと「被害者」のイコンとして表象され続ける、それはちょっと可哀想というか、一旦は「おつかれさまでした」と言ってあげてもバチはあたらないんじゃないかなと。

ただこれは確実に、事件を風化させていく方向(結論めいたものを出してしまうわけなので)に行ってしまうことでもあるので、あくまで「僕の中では」こうなりました、というだけに留めます。

 

 んで、以下は年代ということをついでに考えてみたとき思ったこと。

僕今22歳なんですが、現在の平均寿命をそのまま適応させて考えてみると、多分ざっくりあと+60年以内、2078年には自分等の同世代の5割はもう亡くなってて、その中に自分が含まれてる可能性は充分ある。どんなに頑張っても、22世紀を迎えるというのはまあきつい(医療技術がすげえ発展とかしてたらわかりませんが)

 

て考えると、自分って「21世紀の人」なんですよね。一方調べて見ると、最後の1800年代生まれが昨年の4月にはもう亡くなっていて、てことは現世人類は20世紀生まれと21世紀生まれしかもう存在してない。

 

 別にだからどうという話でもないんですけど。ただ歴史の本とか読んでて、例えば「13世紀はモンゴルの世紀」とかあったりするわけですが、多分そんな風に、「21世紀は○○の世紀」とか言われながら、そこに住んでいた一個人一個人には焦点が当たることなく、抽象的に扱われていくんだろうなーとか思いますよね。

 

 あとこれから先出会うどの人も、確実に20世紀生まれか21世紀生まれのどっちかでしかない、というのもなんとなく不思議っちゃ不思議。当たり前なんですが。

 

 まとまりなくなってきたので終わります。今回は以上です。