こういう短編集は、一つ一つを記事にするのは面倒だが、全部一まとめに感想を書くのも難しいので、この様に小分けにして書いていくことにした。
今回は、ちくま文学の森『美しい恋の物語』から4編。
多分全部青空文庫かなんかに入っていると思うので、興味が出た人が(もしいれば)読んでみそ。
最初の島崎藤村『初恋』は詩である。
しかし自分の言語能力が足らんせいで、ネットで検索しなければ正しい意味が取れなかった。
もう著作権は切れているので、ここに丸ごと貼っておく。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
趣のある、あまあまの詩である。
『燃ゆる頬』 堀辰雄
風立ちぬを書いた人。
高等学校の寄宿舎に入った少年の恋の話。
いきなりBLから始まったのでびっくりである。
薔薇、百合は、文学ではやたら美しいものの様に描かれることが多いけれども、それは何故なのか。誰か教えて。
最初に主人公に迫る魚住(「口元にはたえず少女のような微笑をちらつかせ」、「眼は真っ赤に充血」しながら、熱い呼吸を頬にかけてくる、なんて描写がある。正直この時点でだいぶおなかいっぱいになった)も、
終盤近くでは全く男色への興味が無いような描写があったし、主人公自身もあまたの少女への恋愛に傾倒していったようなので、多感な時期の少年たちが、擬似恋愛として惹かれあった、ということなのだろう。
病気で死んでしまう三枝だけが、少年のまま、つまり主人公に心を寄せたままであり、そのことを私は最期にある形で思い出さされ、自分が脱ぎ捨ててきたものを生生と見せ付けられた、というところで終わる。
堀辰雄ってこんなん書くのね、という感じだった。
『初恋』 尾崎 翠
尾崎さんは、小川洋子さん(博士の愛した数式とか書いた人)がまとめた『小川洋子の偏愛短編箱』で、『こおろぎ嬢』という作品を確か読んだ。
内容はさっぱり覚えていないが、小川さんが「ひっそりと暮らしている、自分の叔母さん家に遊びにいって、部屋を見て回っていた時に、たまたまその叔母さんが書いた本を発見する」というのが、尾崎さんと読者との距離感である、みたいな紹介をしていた記憶がある。もしかしたら別の人に対してだったかも知れないけど。
でも、このたとえというのは、確かにすっと納得。尾崎さんはそんな作家である。
さて本作は、ある村で受験のひと夏を過ごしていた学生が、そこで開かれた盆踊りに参加したところ、ある婦人の踊っている姿に惹かれて、後をつけてみたら、なんとそれは・・・という話である。
祭り、すなわち非日常の高揚したときに、確かに観ていて心地の良いような感じのする人(まあ、それも見慣れていたから、だろうが)がいたら、心動くことはあるだろう。
『柳の木の下で』 アンデルセン
アンデルセンは説明不要でしょう。
しかし、彼、したかったのに、結局生涯独身で終わらざるを得なかった、というのは悲しいものがある。
その経験もこの短編に生きているのか、幼馴染であった子に恋をしたが、なんやかんやで離ればなれになり、彼のほうは思い続けていたけれども、彼女のほうは全くその気がなくて、違う人と結婚してしまい、彼は悲嘆にくれて、彼女と幸せに暮らす夢を見ながら死ぬ、というとてつもなく悲しいお話。
アンデルセンの私情入りまくりだろこれ。
翻訳物って、外国語のほうが美麗的な修飾が多いからなのだろうか、叙情が過ぎるきらいがある様に思うのだが、こういう童話チックなものは素直に読めて大変良かった。
なんか書き始めたら意外と長くなってしまった。誰か読むのだろうか、これ。