人から聞いたことの受け売りで話すことを、parrot(=オウム)からとって、パロティング現象(≠エピゴーネン)と言う。ちなみにこの説明は人からの受け売りである。
受け売りと、パクリと、オリジナルの三者の区別は一体どこでつければいいのだろう。そもそもが自分の知識なんて全て人からの受け売りじゃん、というような思いがある。が一方で、色んな物からこれはこの人にしか出来ない、というような凄みを感じることは多い。ひらめいた、と思ったことが実は遥か昔にどこかで見たものだったとして、それはパクリになってしまうのだろうか。
自分は結構ネタ被りとかには寛容でいるように心がけようとはしていて、何故かといえば上で挙げたようなことが起こりうるだろうと思うからだ。オリジナルって?独創性って?みたいなことをよく考えるのだけれど、答えは中々でない。
例えばこういう記事を書いている時も、とっくのとうにどこかの誰かが考えているものの下位語互換に過ぎないんだろうという諦めがあったりする。それと同時に、自分にしか出来ない論理がそこにはあればいいとも思っている。
「我々は自分自身によってはかけがいのない独自の人間であるとしても、他人の目から見れば所詮は普通の人である」
これは、安西水丸さんの『平成版 普通の人』に付された、村上春樹さんの書評。世間ではやたら貶されたりするけど、村上さんはめちゃ頭いい人だと思う。
他人の目から見れば普通の人かも知れないが、自分自身にとってはいつまでも独自の人間でいたい、というような思いが常にある。気がする。
余談だが、この記事を書くために、パロティング現象という言葉を思い出す際、
「パ、パ、パロ?パロディウス??」とかなってしまい、結局調べなおす羽目になった。自信満々にパロディウス現象とか書かなくて本当に良かったと思う。知ったかぶりは恥かく恐れが高いので、出来るだけパロティングしないように生きていきたいですね。