寝楽起楽

ネタばれには配慮しない、感想/紹介ブログです。毎週1回更新 +α を目指したかった。

現在形の過去を生きる:『記憶/物語』 岡真理 岩波書店 2002年

 

 物量にものを言わす米軍に対し、弾薬も底をついた日本兵は、敵軍を驚かすために英語で叫び声を上げながら突撃した。元大尉は語る。突撃してきた日本兵たちのひとりがこう叫んだのだという。

「ヘル・ウィズ・ベイブ・ルース!」(Hell with Babe Ruth「ベイブルースと一緒に地獄へ落ちやがれ)と。ベイブ・ルースとはもちろん、アメリカのあの有名な野球選手のことだ。だが、どうしてベイブ・ルースなのだろう、とその老年の元大尉はいぶがしがる。「ヘル・ウィズ・ルーズベルト」なら分かるのだが、と言って。(…)「ヘル・ウィズ・ベイブルース」 ⋯⋯日本兵のその言葉を、彼は繰り返す。彼がけっして領有することの出来ない言葉。自分のものにはなし得ない言葉。しかし、自分に取り付いて自分を話さないその言葉。記憶のなかに落ち着く先を持たない<出来事>。

(本著p79,81)

 

 専門が現代アラブ文学ということで戦争のことが深く取り上げられており、題材が題材なのでいつもより真面目に読んだ。

 

 

記憶/物語 (思考のフロンティア)

記憶/物語 (思考のフロンティア)

 

 

○内容要約

 「熱い水に手を入れている者は、冷たい水に手を入れている者と同じようには感じない」、すなわち<出来事>の外部に居る者には、どんな話を聞きどんな映像を見たところで、<出来事>の内部のことは分からない。それでも・・・・なお記憶の領有をすべき<出来事>が在るとき、それはいかにして語られうるのか?

 

○感想・考察

 自分の既知の中に回収可能な事としてずっと見てきた物の中に、ふいにどんなに手を伸ばしても届かんような生々しい何かが晒け出てきて硬直する、みたいな経験は多分皆さんあるんじゃなかろうか。本著はこれについてのお話。

特に第一章と最終章、作者さんの経験した<出来事>について書かれた箇所がやはし一番面白かった。

 

 語ることも出来ない(=記憶としてしまいこめない)<出来事>全般について「語る」というのは大変なお仕事だと思うけれども、これには確かに岡真理さんの言葉で、記憶的にではないあり方で<出来事>について記述されており、適当に手に取った本だったわりに良いもの読まさしてもらえました。

 

 得たいの知れないものにはとりあえず名前をつけといて安心する、妖怪名づけ的思考法が自分に染み付いているようなところがある。

そのあり方に疑問を持ったりもするけれども、本著読んでると<出来事>を抱えて生きるのは大変苦しそうで、そういう意味では俺ってめちゃめちゃ楽に過ごしてるんだろうな。

 

 例えばこういう読書感想を書くにしても、本を読むという経験は一つの<出来事>と言えなくもない。なんだけど、いざ感想を綴るにあたりなんともいえない気持ちの揺れ、書いた言葉の外にある云いたい事、とかそういうもんに自分が注意を払うかというと全然であり、だから自分が「分かった」ことについてしか記述がない記事が出来上がる。

でも本当は書けない部分について書くことが必要なんだろうと思うし、書評とか読むだけじゃなく実本に手を出して<出来事>を経験しないといけないし、それは本に限らず多分なんでもそうなんだが、後は自分の気力と要相談ですね~。

皆さんも出来ればこの本を読むという<出来事>を経験してください。一緒に<出来事>について考えましょう。

 

以上。

  

 

掛け違え×掛け違え:『婚礼、葬礼、その他』/結局皆しんどい:『浮遊霊ブラジル』 津村記久子 

 板東早矢香でスガ私ガ見エマスカ?食堂でハ、アりガとうございマした。

 「ま」「は」の下の方とか「す」の中ほどのくるんとなったところ、「え」や「あ」のぐねぐね感が苦手だったんだろう、と私は思った。

 鏡を見ながら、眉描きペンシルで自分の顔に字を描くためには。

 「いやいやもういいだろう」あたしは、もはや何も考えることができず、バッグを探って、駅前でもらって入れっぱなしになっていた試供品のメイク落としシートを、板東さんに押し付ける。「もういいよ、そりゃ見えるよ」

 秋吉君は、何も言わずに、口を開けたまま佇んでいるだけだった。坂東さんは、ひどく苦々しい顔をして、シートで顔を拭く。なんなんだ、この努力は、ときっと思っている。

(『浮遊霊ブラジル』の「個性」 p148より) 

 

 このシーン、映像で見たい。

 

 

婚礼、葬礼、その他 (文春文庫)

婚礼、葬礼、その他 (文春文庫)

 

 

浮遊霊ブラジル

浮遊霊ブラジル

 

 

○あらすじ

婚礼、葬礼、その他より、

・良い人に送られる、たくさんの苦労とほんのちょっぴりの幸福:「婚礼、葬礼、その他」

・淀みの循環:「冷たい十字架」

以上2編。

浮遊霊ブラジルより、

・孤独の充足:「給水塔とカメ」

・日常におけるちょっとした爆発:「うどん屋ジェンダー、またはコルネさん」

・運命:「アイトール・ベラスコの新しい妻」

・つまりは現世も:「地獄」

精子の魂来世まで:「運命」

・埋もれないために:「個性」

・縁を結ぶ:「浮遊霊ブラジル」

以上7編。

 

○考察・感想

 以前に「とにかくうちに帰ります」も読んでブログに書いた。3作品も読めばしたり顔であの作家はこうだよな、なんて批評してもまあ文句は言われないだろうと思うので言うと、津村さんは「私の人生なんでやねん」がずっと問題意識にある人で、それが如実に作品にも表れてる方と感じる。

 

 そういう人は多分わんさかいるけれども、それを小説書いちゃうぐらい考えてる人は稀で、しかも書いても書いても分からんもんだから仕事やめて専業になっちゃう、そんなんはさらに希少・そして津村さんはまさにそういう人である。

 

 その「私の人生」の事象を具体的に書いたのが「婚礼、葬礼、その他」とか「うどん屋ジェンダー」とか「とにかくうちに帰ります」とか。理由を説明しようとしたのが「冷たい十字架」とか「地獄」とか「運命」とか。

こういう人の文章を読んで何となく癒された気分になるというのはとても理解できるし、だから順当に人気も出ると思う。僕は冒頭に挙げた「個性」が一押しです。

 

 後ほかに、このエッセイも読みました↓。

 

やりたいことは二度寝だけ (講談社文庫)

やりたいことは二度寝だけ (講談社文庫)

 

 

 これはまだ仕事をやめる前のエッセイで、だから(本人は意識してないけど)売れなくなっても仕事があるというお気楽さが前提で書かれてる気がした。だから内容もすげーどうでも良い。そのどうでもよさがよい、という人以外はまず受け付けない。

 

 タイトルどおりにダラダラと読んでびっくりしたのは、文庫版あとがきで意外と真面目な調子で来られたことと、解説の最後に「どうでもいい話が出来る心強さを、少しでも多くの女子に実感して欲しい」と書いてあったこと。

前者はそういう一面もあるんだという驚き、後者は男子も読んでるんですけど、私はどうしたら良いんでしょうか、という困惑。自分宛だと思って読んでた手紙がまるで別人のものだと知ったみたいな行き場の無さを一瞬感じて困った。

 

 

 ふゆうれい、で一発変換すると冬憂いって出てきちゃって毎回直す羽目になった。

最近は一気に冷えこんで、冬憂いから冬に入りこんでますね。

季節の変わり目は体調を崩しやすいという話もあるし。皆さんもお気をつけください。

あーさむ。

 

以上。

 

 

ここにもそこにも人生

    アイフォン6で画像を読みこもうとしたが、通信制限がかかっていたため中々厳しい戦いを強いられていた。

白線が等速に移動しそれが小さな丸をつくる「読みこみ中です」のサインのまま画面は動かず、私には先頭をひた走る彼に向かって「がんばれ、がんばれ」と心中で声をかける他、出来ることは無かった。しかしどんなに長い戦いであっても、やがて終わりは訪れるものである。仄かな明かりを灯していた彼は突如として消えた。私の眼前には、それを飲み込んだ5.5インチ1242×2208ピクセルの無機質な闇がただ広がるのみ。

彼は死んだ。

どんなに走ったところで結局死からは逃れられぬ。

彼が私の心の中に爪痕のように残していったあの丸の残像すらも、まるで同じ袋小路をくるくると回るしかない人間の愚かさを表すようで、私は人生の無情さを思い知った。

 

 

 

 

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BAD ENDが多すぎる:『美しい恋の物語 ちくま文学の森1』 安野光雅他編 筑摩書房 1988年 

 部屋の中に明りがさした。ボヘミアンネクタイがマッチを擦ったのだ。それから火をランプに映した。ボヘミアンネクタイの上半身が障子に映った。鳥打帽を脱いだ手巾を取った。それは間違いもなく僕の妹の横顔だった。

……いや決して美人ではなかった。ただ月光と長襦袢が僕に夢を売りつけたのだ。

(「初恋(尾崎)」 ラストより)

 

  明けがた、雪が降り出しました。雪はクヌートの足の上につもりました。それでも、クヌートはまだ眠っていました。ーー村の人びとが教会へ出かけました。するとそこに、ひとりの職人ふうの若者がうずくまっていました。その男はもう死んでいました。凍え死んでいたのですーー柳の木の下でーー

(「柳の木の下で」 ラストより)

 

美しい恋の物語 (ちくま文学の森)

美しい恋の物語 (ちくま文学の森)

 

 


 

 

まじでまともに成就したといえるの一編もなかった。美しい恋とは。

 

○あらすじ

・誰が踏みそめしかたみぞと:「初恋」 島崎藤村

・同性愛によろめく:「燃ゆる頬」 堀辰雄 1932年

・祭りの幻想:「初恋」 尾崎翠

・身分違いの夢:「柳の木の下で」 アンデルセン 1853年

・恋と愛と:「ラテン語学校生」 ヘルマン・ヘッセ

貞淑でない:「隣の嫁」 伊藤左千夫 1909年

・センチメンタルの病:「未亡人」 モーパッサン 1882年

・謎の貴婦人:「エミリーの薔薇」 フォークナー 1930年

・恋文ノンフィクション?:「ポルトガル文」

 ・夢を売る画廊:「肖像画」 ハックスリー

・芸達者:「藤十郎の恋」 菊池寛 1919年

・あいつに惚れてる貴方に惚れた:「ほれぐすり」 スタンダール 1830年

・春風さやさやかぐや姫:「なよたけ」 加藤道夫 1943年

以上12編所収。

 

○感想・考察

 実は数年前にもこの本については記事にしたことがあって、ただ飛んでもらえれば分かるとおり最初の方のものしかコメントしておらず、なんでかというとそこで一度投げ出したからである。ということで今回は再チャレ、無事読みきることに成功した。

 

 安野光雅さんの感想が感想でなく、しかもその話もまた結局成就していないというところがなんとも味わい深い、のか?

 

 全体の印象の感想を言うと、欧米の作家のは恋愛の世界の追求(「柳の木の下で」「ポルトガル文」)と、作品によってはそれを許さぬ世間(「ほれぐすり」)みたいなとこにスポットが当たってるのに対し、日本はちょっとコミカルだったり(「初恋」「隣の嫁」)そもそも恋といえるか微妙だったり(「藤十郎の恋」)。

なんで、欧米のはわりに着地地点が予想しやすい(成就か破滅か)のに対し、日本のはこれどこにころがんの?みたいなとこがあった。どっちがいいかはまあ一長一短。

 

 予想のつかなさ一位はダントツで「なよたけ」。そもそもかぐや姫が実在したかどうかすらよく分からなくなっていくという。この脚本で演劇見れたらさぞ面白かろうと思った。

 

 愛の重さは「エミリーの薔薇」と「ポルトガル文」で甲乙つけがたい。後者はノンフィクション説がずっと有力で、最近は創作という風に見られてる(?)みたい。相手のフランス人将校がどんな顔してこの恨みつらみがこもった手紙を読んでたのかが気になって気になってしょーがなかった。

 

 ちなみに、壮絶一位は「藤十郎の恋」ほのぼの一位は「初恋(島崎)」です。

前者は描写の迫力、後者はそもそもまともにのびのび恋愛について書いてるの島崎さんしかいねーんだもん。美しい恋とは。

 

 以上。