浩美 そうか、三人称の小説なんだ。なんとなく一人称なのかと思ってた。
篤弘 たしか、主人公はラスコなんとかーー。
岸本 ラスコーリニコフ。
篤弘 その名前は、いきなり出てくるんですか?「彼は」ではなく、いきなりラスコール?
岸本 ラスコーリ……ニコフかな
三浦 主人公がラスコなんとかっていうのは知ってた(ドヤ)。
(本著p18)
_人人人人_
> ドヤ <
 ̄Y^Y^Y ̄
○内容
飲み会で『罪と罰』読んだことなくね?ってなった4人が、そのノリで読まないまま読書会したら面白いんじゃね?って言い出し実現した企画。小出しに明らかになっていく情報から内容をあれこれ勝手に妄想する
○感想
特に三浦しをんさんの炸裂ぶりが笑えた。
断片的に集まってくる真実から内容を考えるという作業自体は推理小説っぽくも読める。んだけど、それまで全く出てこなかった登場人物が新しくもらった情報で飛び出してきたりして、もしこれがミステリ小説なら完全に反則だろ、ということが多い。
でも推理してる当人たちはそれにめげず、どころかますますエンジンをかけて点と点を(勝手に)つなぎ合わせ、一枚の絵を作り上げていくその過程の面白さ。
弘美 ラスコをマークしている警察の人がいるのは確かだけど、なんていう名前だったかなあーー。
篤弘 追いまわすヤツがいることは間違いないんだ?
弘美 だって、それで物語を引っ張ってたから。
篤弘 でも、ラスコの故郷まで追ってくる?くるか、当然。
三浦 来るんじゃないですかね。とはいえ、第三部の始まりは、故郷で気力体力を取り戻しつつあるラスコですよ。お母さんと妹の愛に改めて触れて、都会に残してきたソーニャのことはちょっと忘れがちになる。そこへイリヤの影がーーというろところで第三部は終わりです。
篤弘 要するに「彼も人の子」パートですね。ここで読者の同情も買っておくのかな。
(p93)
読んでて思い出したのは、オモコロで話題になった、『刃牙を全然ワカってない人に「最大トーナメント」を予想してもらった』てやつ。
僕は『刃牙』も『罪と罰』も断片的にしか知らないまま読んでて、どっちかっていうとどんな話なのか一緒に考えるような読み方だったんだけど、多分内容知ってる状態で突っ込みながらのほうが遥かに面白いんだろうと思った。
後本書には、ちゃんと4人が全部『罪と罰』を読んだ後での座談会も収録されてて、このパートが最高。
4人とも読んでない時とは違って、「ドゥーニャがスベをピストルで撃って、弾が頬をかすめるシーン良いよね!」とかあらすじレベルじゃない、めちゃめちゃ具体的な話をしてて、読む醍醐味ってやっぱ個々の具体的なところに降りていけるところにあるなあと。
4人ともプロだし、読み込みが半端じゃない熱量なのも凄い。『罪と罰』が最良のエンタメみたいに思えてくる。
自分の中で『罪と罰』を『カラマーゾフの兄弟』と完全に混同してたことを発見。
『兄弟』は通読したんだけど、「何か人殺す話」としてしか記憶になくて、『罪と罰』も「何か人殺す話」ということだけは分かってて、既読の本と未読の本なのに情報量が全く一緒というね。そりゃ勘違いするわ。
じゃあ『兄弟』読んだ意味ないじゃんと思われる向きもあろうが、そんな人には三浦さんのこのあとがきを持って反論とさせていただく。
もしかしたら、「読む」は「読まない」うちから、すでにはじまっているのかもしれない。世の中には、私がまだ手に取ったことのない小説が無数にあります。そして、まだ語られず、私達のもとに届けられていない物語も、これから無数に生まれてくるでしょう。それらはいったい、どんな小説、どんな物語なのか、愛と期待を胸に思いめぐらせるとき、私たちはもう「読む」をはじめているのです。
(…)名作を読んでいないからといって、あるいは、読んだけれど大半を忘れてしまったからといって、恥じたりがっかりしたりすることはないのではないかと思います。読んでいなくても「読む」ははじまっているし、読み終えても「読む」はつづいているからです。そういう「読む」が高じて、気になって気になってどうしようもなくなったときに、満をじしてページを開けばいいのではないでしょうか。本は、待ってくれます。だから私は本が好きなのだと、改めて感じました。
(p290)
良いこというわー。
本著を読んで、ラスコーリニコフ、アリョーナ・イワーノヴナ、ラズミーヒンは忘れるかもしれんけど、「いきなり帰るマン」、「因業ばばあ」、「馬」は多分忘れんし、あと上の言葉もよーく覚えておこうと思いました。まあ、忘れてもまた読めばいいし。
『カラマーゾフの兄弟』で続編出してくれ。
以上。