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サマセット・モーム『片隅の人生』 天野隆司訳 筑摩書房 2015年(原著1932年)

 サンダース医師は何も望まなかったから、誰の障害にもならなかった。彼にとって、金はたいした意味をもたなかった。

患者が金をはらっても、はらわなくても、気にしたことなど一度もなかった。人びとはサンダース医師を博愛主義者と思っている。

しかし時間も金と同じく重要ではなかったから、自分から積極的に患者の面倒をみているわけでもなく、ただ自分の治療で病原体が屈服するのを見るのがおもしろかった。

それに人間のさまざまな性質を見出すことにも興味があった。彼は病人と病人でないひとを混同していた。

人間はそれぞれが無限につらなる書物の一頁であって、そこには奇妙なくらい無数の繰り返しがあって、それがいよいよおもしろかった。

そうした人びとが、白いのも、黒いのも、黄色いのも、人生の危機的状況を迎えて、これにどのように対処するか、それを眺めることに好奇心をそそられた。

(本書p36より)

こんなやつが主人公の話です。

 

 

片隅の人生 (ちくま文庫)

片隅の人生 (ちくま文庫)

 

 

 

〇あらすじ

 凄腕の名医であるサンダース医師が、病気に苦しむ大富豪の頼みでマレー諸島のタカナ島まで治療に赴くことになる。

 

赴任先で出会うのは野卑な船長と、その船に乗る人間不信の様子を見せる青年。サンダース医師は彼らの船に乗船し、交流を深めることになる。

 

〇感想

 同じ著者の『月と6ペンス』が前読んだときすごくよかった覚えがあるので、それつながりで手を出しましたが自分にはあんまり合わなかったかもしれない。

 

 

 本編で繰り返し強調されるのは人間というものの不思議さで、例えば先の引用の、冷静を通り越して異常といってもよい性格のサンダース医師が、船が難破しそうになるとめっちゃてんぱってたりする。

 

あるいは下品で高尚なことは少しもわからず、カードをやっては巻き上げられてばかりいるニコルズ船長が、その嵐の際は別人のように頼もしく、また死を少しも恐れないような気高さを見せる。

 

『片隅の人生』というのは、当時の価値観としては田舎も田舎な東洋の島々のなかで、それでも全く自分たちと同じように複雑な人生を送っている、その妙味を現したものなのだろうと思う。

 

 なんであんまり楽しめなかったかの要因を探るのは簡単で、ひとえに既知の価値観をひたすら教えこまされているような気持ちになったからだ。

 

たまに移り変わりもするけど、基本的には物語はサンダース医師に寄り添うような形で進み、彼は前述のような人物なので、物事は淡々と進んでいく。

 

自分は本を読む際、①主題②登場する人物の魅力③綺麗な描写、の3つを楽しむタイプで、主題はしってることだったし人物は落ち着きすぎてるし描写はその人物の視点だから平坦だし、という風でのめりこむようなところがなく読み終えてしまった。

 

 

 まあそんな読み方でも最後までいけたので、(僕にいわれるまでもないけど)ちゃんと完成されている小説だとは思います。

 

〇印象に残ったシーン

 嵐のとこ。

 

医師はむなしく苦しんだ。目の前の排水溝から勢いよく水が噴出している。怖い、怖い、胸が痛い。

できることなら、恥も外聞もかなぐり捨てて、飛沫のこない隅へいって、体をちぢめて子犬のように、くんくん小声で泣いていたい。

とっさに神に祈りたい衝動に駆られたが、サンダース医師はぐっと堪えた。彼は神の存在を信じてはいなかった。

だから、唇をわなわな震わせながら、歯をぎりぎりくいしばって、必死になって、口を衝こうとする祈りの本能を抑えていた。

(本著p138より)

 サンダースさんの怖がりぶりに笑いました。実際どこともしれない島海で嵐にあったらそりゃこうなりますわな。彼の感情が理性より優位に立っている貴重なシーンです。