捕鯨を取り締まろうとする人たちには昔から疑問を感じている。
豚や牛や鳥や魚を人は食べる。であるならば、鯨だってイルカだって食べたって別に問題はなかろう。これはありふれた論ではあるが、それがゆえに有効性も高い。
捕鯨反対論の最も基本の根拠は、鯨は知性のある生き物であり、だから殺してはいけない、というものである。しかしそれをいうならば豚も牛も鳥も知性はあるし感情も持つだろう。
殊更に捕鯨反対をあげつらいたいわけではない。日本の女性作家の誰だかが、犬の支援ボランティアをやっている人達を題材に、「何故だか分からないけど、何とかしないといけないと思ってしまった」という心理を見事に描いた短編を書いていた。
意味不明なままに「天命」を見出してしまう、そんな出来事は恐らく誰にでも起こりうるだろうし、そうした状態は肯定されるべきだ。
ただ私からすれば、人間側の目線で勝手に動物たちに線引きをする、その態度は疑問であり矛盾に見え、さらに行き過ぎた人たちは端的にヤベー奴らだと思ってしまう、という話なだけである。
ハムスターを飼っていた時期がある。
ハミングくんと弟より命名された彼は元々、私が自身の部屋の汚さを儚み、同居者が居れば少しはマシになるんじゃねーかと思って購入した動物だった。
お世話をすれば当然愛着は湧くもので、まあ脱走されたり色々面倒もあったものの、それなりに楽しく(あっちはどうだかわからないけれども)一緒に生活をしていた。
その彼が亡くなってから少し経って、家に鼠が出没するようになった。
ハミングくんが居る間は彼の縄張りと思って遠慮していたものを、不在を嗅ぎつけてやってきたものらしい。
ただどうも住処は別にあったようで、隣の家が工事で取り壊されたここ一ヶ月、ついに彼らの影を我が家で感じない日がなくなってしまった。
昼夜を問わず屋根や壁を走る音がし、災害用にと用意されていた米袋が空になり、と実害も出るようになると流石にいよいよ駆除を検討せねばならぬ。
いっそ猫を飼うのはどうか、いやまずは音波器で様子を見よう、など家で議論が交わされる中、この一週間ついに殺鼠剤と鼠捕獲シートが導入された。
弟は鼠の断末魔を壁越しに聞いたらしい。
父からは大量捕獲、の言葉とともにシートにへばりついた鼠達の画像が送られてきた。
考えざるを得ないのは彼らとハミングくんとの差異である。
調べてみるとわかるが、ハムスターとネズミは、分類学上は殆ど違いはない。見た目にも、はっきりと違うと言えるのは尻尾の長さぐらいなものだ。にもかかわらず片方は可愛がられ、片方は殺される、これはひとえに人間の一方的な観点からにすぎない。
例えばもし今回暴れまわっているのがネズミではなくハムスターだったら、私は恐らく被害を受けることを許容しただろう。
ここにきて浮かび上がってくるのは、私も捕鯨に反対する人たちと同じヤベー奴なんじゃん、というシンプルで動かない結論のみだ。
人間、という一般名詞を使うとき、しばしば私はそこに(私以外の)という行間をそこに付け加える。
しかし、当然のごとくその人間の中には、他ならぬ私自身もまた表象されている。その当然であるはずの事実に、私はひどく狼狽える自分を見出している。
何も知らないフリをしながら、父からのメールに「わーすげえ」と返信を打つその瞬間、私はまた一歩地獄への道を歩んでいる。